最終章、最後の新着メール

【☆】
 成久君が退院して一ヶ月が経った。

 彼があの日目が覚めてから色々大変だった。

 まず、彼のご家族が新潟の方からやってきた。

 左手を失った事にものすごいショックを受けていた。

 無理もない、硫酸で焼かれた左手は衝撃の度を超えている。

 実家に帰る、というご家族からの手引きはあったけど彼は断った。

 彼は今現在も大学に通い、電気工学の博士号を狙っている。

 片手だけでも出来る仕事……教授を目指して。

 電気工学に関して、彼は首席まではいかなくても成績優秀者だったのはびっくりした。

 そんな雰囲気まるで感じなかったし。

 私は看護師の資格を取る為に同じく大学で勉強を重ねている。

 前までと違うのは、引っ越しして成久くんと同棲をしていること。

 同棲、じゃないか。だって私も……
【△】
「しかし、驚いたよ。まさかもう結婚するなんて……」

 オカルト研の部室で部員みんなが篠本を取り囲む。

「正直今も俺は戸惑っている。まさかこういう流れにいきなりなるとは……」

 真ん中で篠本が照れながら頭を掻いている。

 動かない左手の薬指には指輪がはめられている。

 スピード結婚……というかマッハ結婚というところか。

 ものすごい、トントン拍子どころじゃないよな。

 パパッと話が決まったとか。

「そんで〜? 式はいつやんの?」

「いや、式の予定は……今のところ考えてないっす」

 収入ないしな……楠原の親御さんもよく学生結婚を許したもんだ。

 ……お姉さんの決意が固すぎて押し通したと聞いた。

 何しろ牧江の為に人生を注いだ、と言ってもいいはずだ。

 諦めかけた部分はあったにせよ、牧江を一番に待ち続けたのは彼女だ。

 その牧江を「救った戦士」に全てを捧げる気持ちもわからんでもない。

 あの人は「お姫様」だったのだ。

「……今度は、守りきれる?」

「あぁ、片手だろうと誰にも負けないさ。俺は前みたく弱くないからな」

 大谷ちゃんとも和解ができたようだ。捕まった定本と佐々木さんを救ったのが大きかった。

 それでも、二人の関係修復には至らなかったが、今となってはそれで問題はない。

 ただ、定本や今岡さんとは例の関係が続いてるみたいだが。

 定本は少し自重してるか。俺と付き合ってることもあるし。

 篠本は退院後、すぐに携帯を新調した。

 SIMだけは生き残っていたみたいだが、牧江からのメールは着てないという。

 あの携帯に取り憑いていたからこそ、交信ができたのだ。

 例の犬達も牧江に付いて消えてしまったとか。

「それで、結婚はまぁ良いにしても収入は当面どうするのだ?

 まさか教授になるまで無職というわけにはいかんだろう」

 その辺に関しても、篠本はしっかりと考えていたみたいだ。

「えっと、来週あたりに左手を固定する装具が届くんです。

 それ付けてなら採用してくれるかもっていう運送系のバイトを見つけました」

 篠本の行動もそうだが、世界は決して意地悪ではない。

 決起して行動した者に救いの手は差し伸ばされるのだ。
【○】
 恐る恐るマンションのドアを開ける。

 物音を立てないようにそっと玄関に足を踏み入れる。

 引く力が強過ぎたか、ドアが大きく音を立てて閉じる。

「……おかえりー!」

 エプロン姿の彼女がスリッパの音を立てて迎えてくれた。

「あ、ただい……」

 言い終える前に熱い抱擁が飛び込んで来る。

 バランスを崩し、後ろに倒れそうになるところを右手で支える。

 抱擁が強いせいか、ちょっとばかり苦しい……いや、本来は天国だ。

「今日遅かったね。どこか寄ってたの?」

「バイト先に、二次面接……です」

 俺は世間では障害者だ。

 本当に採用に値するかを確認するために何度も面接が必要になる。

 次は装具が来てからだ。

「そっか、お疲れ様。ご飯、できてるよ」

「あ、ど、どうもです……」

 荷物を俺から取り上げてリビングへ案内してくれる。

 一週間経つが、未だにこの新婚生活には違和感がある。

 交際という期間をあまり経ずに結婚したからだろうけど。

 まぁ、その……やる事はやったけどさ。

 お互い初めて同士でまだ慣れてないから上手くできないんだけど。

 里美さんに対してまだぎこちないのもそのせいだ。

「座って座って! 今ごはん出すから」

 彼女からの献身的な気遣いにはすごく助けられている。

 いつかストレスで壊れてしまうんじゃないかと。

 彼女は俺の左手になる……といって俺の嫁になってくれた。

 俺はそんな彼女がこの人生を選んだ事に後悔をしないように導いてあげなければならない。

 マキエは、今の里美さんを見て何て思うだろうか。

「どうしたの? ごはん、お口に合わなかったかな……」

「いや、すごく美味しいよ」

 そんなわけない。彼女の作る料理は最高だ。

 茶碗を持てない事を配慮して平皿に盛ってくれて、それに合わせて彼女も同じ平皿で食事している。

 大学の勉強だってあるだろうに家事の全てをしてくれる。

 さらに言えばまだ本屋のバイトだってしている。

 良妻すぎて俺には勿体なさすぎる。

 これほど尽くしてくれる女性がいてくれることに幸せを感じずにはいられない。

 やはり俺には不釣り合いなのかもな……いくら目指す先があっても、今抱えるこの不安だけは拭えない。

「ごはん終わって、ちょっと休憩したらお風呂入ろ!」

 俺が背中を洗えないという理由から、もちろん混浴である。

 本当、良い奥さんに恵まれたと思う。




 深夜、ベッドで眠っていたら外から「カタン」と音を感じ、目が覚めてしまった。

「んー?」

 何かいるのか……マキエが取り憑いた経験からか、そういう細かい気配に敏感になってしまっている。

 玄関に向かう途中で時間を確認する。

 午前三時。郵便物が来るには早すぎる時間だし、そもそも新聞は取ってない。

 玄関に設置されているポストに手を延ばす。

 手紙が入っていた。

 玄関を開けて暗い通路を左右見渡す。

 オートロックのマンションであるため、外部の人が出入りすることはできない。

 とりあえず手紙をみてみるか。

 リビングに戻って確認をする。

 差出人は書かれてない。そして俺宛であることは明確だ。

 平仮名で、「しのもと」……思い当たる現象に気づき、慌てて手紙を開く。

「あ……あああ……」

 不規則な配列で、上手とは言えないが、それは確かにこう読めた。



    しの もと

   お ね

    ちゃ ん

    よ ろし  く



 これが誰かのイタズラであっても構わない。

 確かに今、俺はマキエの存在を感じることができた。

 マキエは、今も俺と里美さんを見守ってくれている。

「俺……絶対に負けない。約束するよ、マキエ」

 最後のメールは、形に残る俺たちの宝物だった。
←前章 top 次章→