三十五、戦士の末路

【☆】
 事件が解決に向かった、と聞いて家族みんな力が抜けた。

 牧江の命を奪った犯人は篠本君の手でコテンパンにされ、逮捕されたという。

 彼がそこまで強いなんて信じられなかったけど、これで本当に私たちの呪いが解けた。

 犯人も嘘のように自分の罪を自白しているみたい。

 その話によれば全ての死体は消失している状態だという。方法は聞かない方がいい、とまで言われた。

 それほど恐ろしい最期を迎えたのだと思うと胸が苦しいけど、犯人が捕まって良かった。

 牧江の魂も救われたに違いない。

 肝心の篠本君の携帯は壊れてしまい、牧江の魂はどうなったのかわからないみたい。

 きっと、携帯が壊れたことで二度目の死を迎えてしまった……のだと思う。

 もう、牧江はこの世から本当に居なくなった。

 遺っているのは江城君から受け取った懐中時計。

 犯人が牧江の命をお金に買えて手に入れた、とか。

 許せないけど、牧江の命の価値が形として残っている。

 すごく悔しいけど、今は位牌の代わりとして、写真の前に飾られている。

 今日もお出かけ前に時計に拝む。

 いつものところ、行ってくるね。
【△】
 親父の墓を前にするのは、久しぶりだ。

 厳しさを体現させた男だったが、おかげで俺は自分でもそれなりにしっかりした人間になれたとは思う。

 親父も、会社では辛かったんだろうな。

 家では常に厳しく振舞わなければならないから、心も安まらなかったんだろう。

 社内では常に追い込まれ、居場所も狭かったらしい。

 そんな中、優しく励ましてくれた女性と不倫関係に落ちた。

 俺は責めない。だから、親父には許しが欲しい。

 定本早苗との交際を……

 いや、親父は浮気してたんだから文句は言えないな。

 牧江の家族にも許しは貰った。

 全て決着がついたのだから、恋愛は自由にして良い……とね。

 俺はこれからも自分を高めるように努力は続ける。

 親父の叶えたかった「優秀な人間」になれるように、頑張るよ。

 親父の嫌な部分は反面教師にするよ。あの犯人とかぶるし。

 俺は全ての人々に感謝の気持ちを持って社会に挑む。

 見守っててくれ。親父の誇れる男に必ずなってみせる。

 さよなら、またいつか来る。

 墓に拝み、立ち上がって離れる。

 ふと、もう一度墓の方を見る。

 親父が微笑んでいるような気がした。

 ……そんな気がしただけだ。
【○】
 病院の屋上は風が思いのほか気持ちがいい。

 もう冬だから冷たいんだけどさ。

 あれから一睡もできなかった。これからどうなるのかが怖くて、「明日」を迎える心構えができないのだ。

 それでも物理的に時が過ぎる。もう昼飯の時間も越えて午後二時だ。

 元から片手の生活に慣れがあったのか、食事は特に問題はなかった。

 それよりも気になったのが、お見舞いに誰も来ないことだ。

  江城や定本さんあたりは来てくれてもいいんだけどなぁ……なんて思いつつ、定本さんにはちょっとだけ期待したかったりする。

 だって毒ガスから救出したんだぜ。俺に振り向いてくれたってバチは当たらんよ。

 やましい考えだけど、切実にそう思うところもある。

 こんな手になっても、俺と向き合ってくれる女性がいてくれたら、まだ救いがある。

 もし、この怪我がきっかけで世界から排除される目に遭うなら……いっそ悪党になったほうが楽だ。

 マキエの命を奪ったあの犯人も、元はそうだったのかもしれない。

 同じ左手を失った者同士だからこそ、わかるところもある。

 さて、いい加減寒くなってきたし、部屋に戻るか……



「おぉ篠本! どこへ行ってたのだ?」

 病室に戻ると驚いたことに佐々木部長と江城が待っていた。

 お見舞いに来てくれたのか……

「屋上の方へ、落ち着きに……いつ来たんすか?」

「たった今だ。昨日までずっと眠ってばかりだったから驚いたぞ」

 そっか、来てくれてたんだ……たまたま目覚めた時間が悪かっただけか。

「篠本、大丈夫か? いつ目が覚めたんだ?」

 江城が心配そうに寄ってくる。

 まぁ、結構な重傷だったよなぁ。まだ左肩とか痛いし。

「昨日……っていうか今日の午前二時だな」

 それから一睡もしてないので実はちょっと眠かったりする。

 俺が意外と平然とした態度をしているからか、二人は安心したみたいだ。

「なぁ、そういえば俺はどれくらい寝てたんだ? カレンダーとか確認してないから今日がいつかもわからない」

「三日ほどだ。ピクリとも動かなくて死んだかと思われてたんだぞ」

 そんなにか……激戦による疲労、というより幽霊にやられた影響で眠ってたと考える方が自然か。

「犯人は?」

「お前のおかげで警察に放り込めた。色々証拠が残ってんだ、ちゃんと裁かれるさ」

「そっか、でも江城……お前は」

 マキエの仇討ちをしたかったのは江城本人だろう。その役割を奪ってしまったことは、申し訳ないなとは思う。

 江城が果たせたかどうか、ではない。江城の心の問題だ。

「別に……牧江が救われればそれで良いんだ。俺にとっては犯人が捕まったってだけでも十分だ」

 思いのほか江城も落ち着いてる。

 夢の中でマキエは俺に礼を言った。

 あれが成仏だというのなら、マキエは救われたと思っていいかもしれない。

「お前は俺たちの問題には無関係の人間なのに……言葉にならないよ。こんな怪我までしてさ」

 確かに俺は蚊帳の外だった。マキエが取り憑いたことで奇妙な繋がりが生まれた。

 解決能力を持っていたのが、俺だったというだけの話なのだ。

 得にならない事に首を突っ込むことになって、結果左手を失った。

 後悔が無い……なわけがない。屋上では後悔しまくりだった。

 マキエや関係者の心を救う事はできても、俺自身が犠牲となり、救いの手は無い。

 たとえこんな手になっても、俺を愛してくれる女性がいるだけでも、まだ救われる。

「江城、定本さんは? 来てないの?」

 俺への救いを期待して聞いてみる。

「あ、それなんだが……」

 江城が言い渋ってる。まさか毒ガスで重体だったりするのか?

「初日は来たんだが……それ以降は来てないな」

 代わりに答えたのは佐々木部長。

 そもそも来てないのか!

 それはそれでなんかすごくヘコむなぁ……

「あと、俺と定本付き合う事になったんだ……」

 江城の告白でさらに追い打ちだ。ちなみにこれが一番ダメージがデカイ。

 おま、付き合うって。マキエのことは……もう解決したから良い……のか?

 そうか……これは完全に詰んだ。

 大谷さんは部長と付き合ってるだろうし、楠原さんはそもそも高嶺の花で俺とは不釣り合いだ。

 新野さんが受け止めてくれるとも思えないし、今岡先輩は彼氏持ちだしなぁ。

 新しい出会いなんてそれこそ絶望的だ。

 そりゃそうだ……障害者は、やっぱ嫌だよな。

 俺を救ってくれる人なんて、この世にいやしないのだ。

「ははっ……そっか……そっかぁ……」

 力が抜けてベッドに倒れる。運の無い人生とは思っていたが、ここまでくると逆に清々しい。

「そんな顔するなって……良いことあるよ、きっと」

「そうだ。浮かない顔ばかりでは幸運が逃げるぞ」

 俺の絶望を知らない外野は好き勝手言いなさる……こんな手になって幸せを掴めるもんか。

 障害を抱える人間に放つ言葉にしては非常に酷だ。

 二人の無神経さには腹が立つが、喚いても仕方のない話だ。

 こんな状態になってしまったら、欲望に突き進むか、希望を期待して前を向くかしかないのだ。

「さて、そろそろだな……」

 江城が携帯を確認してにやける。

 何があるんだ……荒みつつある俺の心は全ての興味から目を背けようとしている。

 時刻はちょうど午後三時、病室のドアがスライドした。

「おぉ、来た来た」

「待っていたよ。やっと目が覚めたよ」

 来客と目が合って驚いた。いや、向こうもびっくりしているみたいだ。

 何も言わずに俺の方に駆け寄り、胸に飛び込んできた。

 そして、間もないうちに泣き声が胸に響く。

「しぃ、しの……もとくぅ〜ん……よかっ、よかったぁ……」

 釣られて、俺の目にも涙が溜まっていく。

 泣きじゃくった女性は見上げる形になって俺と目を再び合わせた。

 楠原、里美さん……

「楠原嬢はな、ずっとお前の事を心配しとったんだぞ」

「そうだよ、この三日間ずっと休まず付きっきりでお前さんを看病してたんだ」

 三日間、ずっと……?

「今日はちょっと遅れるって連絡があったから俺たちが先に到着したけどな」

 少し落ち着いたのか、涙で赤く腫れた眼差しで微笑む。

「ずっと……心配したのよ。もう起きてこないんじゃないかって……」

 でも、良かった……

 そう言ってまた俺に抱きついてきた。力強いその温もりが、俺の荒んだ心を包み込む。

「もう、大丈夫なの?」

「大丈夫っていうか……確かに左手は使えなくなったんすけど……」

 包帯巻きの左手に力を入れようと意識するが、当然何も起きない。

 完全な感覚麻痺が起きて右手で軽く揉んでも何も感じない。

「お医者様から聞いたわ。もう、この左手は動きそうもないって」

 そっか……わかっちゃいたが、医者からのお墨付きだと余計にへこむな。

 楠原さんはそんな俺の左手を両手で優しく触れて、彼女の頬に当てる。

「この手が、牧江を救ってくれたんだよね……」

 感覚が無いはずなのに、左手に温もりがある。

「ごめんね。私たちの為に一生治らない傷を負うことになって、辛いよね……」

 あぁ、いいさ……って言いたいところだけど、さすがに欠損レベルになるとそうも言えない。

 落ち度は俺にもあったとしても、今の俺に精神的に余裕はない。

 同情されても、喜びには繋がらない。

「私が、あなたの左手になる……」

「えっ……?」

 耳を疑った。今、何て言った……?

「これからずっと……篠本君が嫌じゃなかったら……私が篠本君を支えたい」

 左手を握ったまま、俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。

 彼女の頬は赤く染まり、目は潤んでいる。

 俺もまた突然の告白に戸惑いが生まれ、どう答えたらいいか言葉が出てこない。

 江城達に目を向ける。親指を上に向けて後押ししてくる。

「俺……」

 言いづらそうな雰囲気を察知してくれたのか、江城達二人は病室から退散していく。

 部屋の中は俺と楠原さんの二人だけになる。

「楠原さん……ありがとう。すごく嬉しいけど、俺……」

 俺が欲しいのは同情からの介護人ではない。

 こんな俺でも、支え合える関係だ。

 ……どうしよう、うまい言葉が出てこない。

 これを機に彼女になってくれっていう都合の良い願望を口に出せない。

 だってそうだろ? 愛情からの申し出じゃないんだ。

 無料ヘルパーとか、そういう意味でなら悲しすぎる。

「俺のそばにいたら……楠原さんは、幸せを掴めないんじゃないかって思います」

 崩れかける理性が叫ぶ、今できる彼女への最大の気遣いだ。

 俺は、俺の幸せを諦める。でも彼女から幸せを奪う権利は無いのだ。

「……だったら、私を幸せにしてほしいな」

 驚きの返答に顔が上がる。

「私があなたの左手になって支える。だからあなたはその右手で私を引っ張って……」

 じわりと、また涙が滲んでくる。

 ここまで言ってくれる彼女を疑う事は愚かだ。

 俺は左手を包む彼女の手を、右手でしっかりと掴む。

「俺……頑張ります」

 失われたと思った未来が、輝きを引き連れて戻ってきた。

 マキエを救う戦いは、俺にとっても無駄ではなかったのだ。

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