三、ツアーその後に

【■■】
 夜闇、その中にある更なる闇に今日も踏み込む。

 私のこれ以上ない楽しみがこの先に眠っている。

 今はもう亡きものと認識されている建物の中にいる。

 ランタン型のライトで辺りを照らし、地下へ潜る。

 隠されたスイッチを押すと、死んだと思われていた明かりが復活する。

 廃墟とは無縁の施設を思わせるほど中は綺麗に整っている。

 実験室に入ると、違和感があった。とても細かい違和感だ。

 机に指でなぞったような線。私はこのような跡は決して付けたりはしない。

 つまるところ……何者かが侵入したという事に外ならない。

 私は焦燥感に駆られ、「保管庫」に向かう。

「保管庫はここからさらに下だ。もし、それが何者かに発見されたとなれば危険だ。

 慌てて勢いよく「保管庫」のドアを開ける。

 被験者の女が怯えた目でこちらを見ている。足を鎖で繋がれて逃げられないようになっている。鎖は長いので同室に備えられた便器での用便には苦労しないはずだ。

 置いていた「餌」は朝と昼の分は開いているが、夜の分はまだ閉じたままだった。

「誰か、来たか?」

 私はそれだけ声をかけた。女は首を横に振る。

「そうか」

 誰からも発見されてないのなら、ひとまず安心だ。しかし油断はならない。

 私は落ち着いて振り返り「保管庫」を出ようとする。

「お、お願い……もう帰らせ、て……」

 女が弱々しい声で懇願してくる。

「少しでも生きて帰りたいと願うなら、餌を喰うといい」

 重厚な鉄のドアを、閉じる。

 獣のような泣き声が、奥から聞こえた。
【○】
 散々な目に遭った。

 結局のところ、誤解は解けた。

 江城は気まずそうに何度も謝ったが、定本さんは目の色を変えなかった。

 俺の素行の問題だとか言っていた。俺は特別悪い事をしてるとは思ってないんだがなぁ……何でだ。

 唯一の救いは、撮影での一件と冤罪の件を堺に大谷さんが俺に対してちょっと距離を縮めてくれたことくらいか。

 表情がほとんどない彼女だが、俺には少しばかり笑顔を向けてくれている気がする。

 江城からの強烈なパンチの後に、ご褒美が貰えたというのならチャラにしても良いだろう。

 ともかくサークルでの立場がこれ以上悪くなるということはなかった。ただ、定本さんからは余計に嫌われることになったな……くっ、辛い。

 まぁ、俺の天使は大谷さんに決定だ。これから徐々に親密になれるように頑張っていこう。

 さて、撮影した写真やビデオの結果だが……残念な事に怪しいモノはなにひとつとして写らなかった。

 何度も検証を重ねて調べたが、本当に何も出てない。

 あの時の大谷さんを信じないわけじゃないが、結果として何も残らなかったのだ。それは仕方のない話だ。

「やっぱり何も無い……俺のも、篠本のも全滅だ」

 サークルのパソコンで細かく調べていた江城が降参のサインを挙げた。

「んむぅ!? それは我をおいてけぼりにした報いではないかね!?」

 江城のすぐ後ろで恨めしげな声を上げているのは佐々木博(ささきひろし)さん。

 4年生で部長。そして妙に暑苦しいのが特徴。喋り方もくどい気もする。

 心霊写真を撮りたくてウズウズしている人で、なかなか行動力を見せなかった故に、何度企画倒れしたことか。

 それでいてこの突発的な心霊ツアーである。嫉妬するのも仕方ない。

「我がいればもっと奥に! そう、もっと奥に! そして深く逃げ込んだ幽霊を捕まえて一緒に記念撮影をしていたものを!!」

「……それじゃ幽霊に逃げられるぜ?」

 確かにあの暑苦しさじゃ、幽霊も近づいてこないだろうなぁ。

 安全かもしれないが、企画としては本末転倒だな。

「んむぅっ!! 江城はいつも辛辣だなっ! ならば仕方あるまい。究極兵器を見せようぞっ!」

 佐々木部長は野球ボール程の水晶玉を鞄から取り出す。おいおい、いつもアレを持ち歩いているのかよ。

「幽霊と意思疎通ができるこの聖石よっ! これで幽霊ホイホイだぁっ! お買い得商品、これでなんと5980円也っ!!」

 うわー、ものすげぇぼったくりくせぇ。部長、それ騙されすぎだろ。

 しかもなんでそんな幽霊ホイホイが商品として企画されるんだよ。普通に考えておかしいだろ。

 江城も開いた口が塞がらないようだ。確かにリアクションに困るよな。俺だってなんて声をかければいいか不明だ。模範解答があるなら誰か教えてくれ。

 それに興味を示したのか、大谷さんが部長のそばまで行ってその水晶玉をじっと見つめる。

「おっ、大谷嬢! なかなか良きものだろう?」

 大谷さんはひょいと取り上げ、左手の平の上に水晶を乗せて呪文らしきものを呟き、水晶の上で右手をくるくると回す。

 それはそれは流暢な……何語かはわからないが、その姿は様になっていて神秘的な雰囲気すらある。

 あぁ、呪文を唱えている大谷さんも可愛いなぁ。っていうか、あの心霊ツアー以来、大谷さんが可愛いく見えて仕方ない。もう俺の嫁って言いたい。

「……効力はわからない。でも何だか馴染む」

 大谷さんの評価もイマイチだが、部長は満足気だ。

「うむ! 気に入ったのならばたまに貸そうぞ! 黒魔術の研究にも使えるならそれに超したことなどない!!」

 そう言って佐々木部長は大谷さんの頭をわしゃわしゃと撫でる。

 畜生、そこは俺のポジションだ! 俺の嫁から離れろぉ!  ……と主張をしたところで白い目は確実なので敢えて黙っておく。

 さてさて、幽霊の類いが全滅と言った割にはずっと唸っている江城。あいつの疑問が何なのかわからない。ということで近づいてみる。

「何か変なものでも?」

「ん? あぁ……ちょっと気になってたんだ」

 江城は画像を開く。フラッシュで明るくされた病院の一室だ。

「これを見て奇妙だと思わないか?」

 言われて、目を凝らしてみる。

 病院の作業室に見える。特に何も感じない。

「んぅ? 何か変か?」

「……まぁ、そこにいなかったから無理もないな。妙にキレイだと思わないか? 爆発事故が起きたのに、掃除されているかのようにゴミも破片もない」

 あ、確かに。俺の見た所は瓦礫まみれだったな。壁は崩れていたし、ガラス窓も割れていた。それと比べると、確かに妙なほどキレイだ。

「……ま、もうそんなことはどうだっていいかぁ」

 江城はため息をついて画像を閉じる。本来の目的だった心霊写真の確保には失敗したのだ。今更廃墟の一部がキレイだったところで何があるわけでもない。

「ふむぅ、写真はともかくとして……霊的な現象は確認できたのか?」

 部長の投げた疑問で、記憶から探ってみる。

 要は話し声が聞こえたとか、モノが動いた等だ。

「あぁ、それだったら……大谷さんの具合が悪くなったくらいかな。俺は何ともなかったけど」

 あの時の体調変化は本当に心配しかけた。俺が抱き寄せたおかげで倒れる事はなかったけどな。それに、オイシイ体験もできた、心霊スポット様々だ。

「……篠本先輩が鈍感すぎるんです」

「まぁ、その鈍感な俺のおかげで無事に帰ってこれたんだから良かったじゃないか」

 そこで二人とも倒れるような事が起きれば冗談では済まなかった。まぁそれなりに誤解も生んでしまったが。

 結果的に言えば、運が良かったのだろう。

「つまり、何も無し……か」

 佐々木部長の結論通り、何も起こらなかった。

「ビデオを見る限りじゃ、霊的現象によくある映像のブレも無かった……ま、これが現実だろうな」

 ため息と共に落胆を吐く江城。確かに結論でいえば何も無かった。

 病院を抜けてから大谷さんも体調が回復したし、念のために塩も振った。

 心霊ツアーは成功とは言い難いが、活動の思い出としては良いものとして残った。

 それに大谷さんとの距離も縮んだしね。それが一番の収穫だ。

 定本さんとはもう絶望的かもしれないけど。

「あたしは楽しかったよ。またやろうよ!」

 定本さんのはしゃぎっぷりが切ない。俺としては殴られるような目に遭うならもう行きたくない気分だ。

 いや、大谷さんとだったら行きたいかな。

「……私は、もう結構です」

 本人からノーサインが出た。なにこの絶望感。

「そりゃね、篠本にあんなことやそんなことされちゃったらねぇ」

 また定本さんが誤解を招くような事を……いや、みんなもう解っているからまだいいんだけどさ。

「し、してません!」

 そうだ、俺は優しく彼女を抱き寄せただけだ。体を密着させただけだぁ!  確かに、あの細い身体から感じた小さく柔らかな双丘や細い腰は簡単に忘れられそうもないがな。

 俺も大谷さんの気持ちを解りつつ、少しイジワル発言をしようと思った。

「……いやぁ、だったら、今度俺抜きですりゃいいよ。俺だっておっかなくて夢にまで出てきたくらいだし」

 大谷さんは一瞬だけチラリとこちらを見る。それはそれは、とても申し訳なさそうな表情で。

『せ、先輩……そういう意味じゃないですから』

 って言ってくれるだろうなぁ……

「……あ、じゃぁまた行きます」

Σあれぇーーーーー!?

 え、それ俺にデレてたわけじゃないの!?

 俺どんだけ勘違いしてんだよ! 俺どんだけ虚しいんだよ!

 っていうかその『じゃぁ』って何!? 俺本気でいらない子なの!?

 あまりのショックで打ちひしがれる俺。しばらく立ち直れそうもない。

「むぅ、ならば今度は我が共に参ろうか!」

 部長の意気込んだ声が聞こえた。

 あれ、俺に得たものって……マイナス評価だけ?

 もうさ、俺呪われてんじゃないか?




 バイト先でもため息が尽きない。

「どうしたの? 若い人間がため息ばかり」

 駅ビル内の本屋で在庫補充をしている俺。何度も繰り返されるため息に、バイト仲間の女性が声をかけてきた。

「いや、何て言うか……もう人生に希望なんてものは無いんじゃないかって」

 女性はくすりと微笑み、一緒になって補充を手伝ってくれる。

「まだ全部を諦めるには早過ぎるわ。私より若いんだから」

「そうっすねぇ……」

 俺は苦笑で返す。本当、それしかできない。

 若い、と言っても彼女が俺より一つ年上なだけだが。

 彼女の名前は楠原里美(くすはらさとみ)さん。

 現在有名女子大学に通う、バイトでも少し先輩の人だ。

 入った時期も同じということもあってお互い打ち解けるのも早かった。

 高校からずっと女子校に通い続けているせいか、おっとりマイペースさんだ。

 世間知らずな部分があるらしく、社会勉強という意味も兼ねてバイトを始めたとか。

 はんなり美人さん、というだけあって彼女の柔らかな笑顔は素晴らしい。

 俺にとっては高嶺の花だ……ただ参入時期が近いってだけで一緒の時間が多いってだけだ。

「何があったか聞かないけど、溜め込むより吐き出した方が楽になることもあるわ」

 そう言って軽く背中をさすってくれた。

 あぁ、今なら自分の身をわきまえずに惚れてしまいそうだ。

「語るだけでは解決しない辛さがあるのも知ってるけど……」

 最後に見せた表情は、どこか悲しげだった。

 吐き出したところで解決しない、か……確かに俺の悩みだって解決しないさ。言って楠原さんが『私が彼女になるね』って答えてくれればそれで解決なんだけどな。

 でも、バイトの間は少し忘れよう……客にとっちゃ俺の事情なんて関係ないんだ。

「そうっすね。ま、少し落ち着いたら馬鹿話として話しますよ」

 楠原さんはまた柔らかい笑顔で返してくれた。この人は……うん、女神だな。

「これ」

 楠原さんが積み上げてる本を一冊手に取った。

「新しいの、出たんだ……」

 彼女が手にしたのは大人気ラノベ「館の住人達」の最新刊だ。

 変てこな仮面被った館主が主役で、登場人物に喋るアライグマや熊が出てくる、ちょっと変わった作品だ。

 異色な人物達が織り成すコメディータッチの、しかし芯はシリアスな話だ。

 シリーズを追うごとにどんどん館の住人が増えていく。こんなんで収集付くのかと思ったりするが、これもなかなかどうして。

 俺も愛読者の一人だ。

「それもシリーズ長いっすよねぇ。もう六年近く出てるし。楠原さんも好きなんですか?」

「そうね、私も好きだけど……妹が特にね」

 ほほぉ、楠原さんには妹さんがいるのかぁ。きっとその娘も綺麗なんだろうなぁ。

「買っていこうかな」

 そう言って楠原さんは本をそのままレジへ持っていく。確実に確保できる店員だけの特権だ。

 俺も確保しておこう。というか楠原さんもコレが好きだったとは……いいね、これを話題に距離を縮めてやんよ!

 俺も一冊脇に置いて、棚卸し作業に戻った。



 マンションに着いたときは22時を過ぎていた。

「くぁーっ! 今日も疲れたぁ」

 大繁盛、という程でもないが、あそこはエロ本以外のを取り揃えてるから広いんだ。

 ジャンルも豊富で、階も二つ分くらいあるし……こんだけ紙を使ってよく紙不足とか言われないな。不思議にすら思える。

 俺は翌日の講義をメモった手帳を開く。

「うわぁー、明日一時限からかぁ」

 これは早起き確定だな。きっつ〜。

 ネットサーフィンをする為にノートパソコンを起動し、明日の準備を済ませる。

 携帯を見ると、何も来てない。定本さんとか、江城とか、きっと楠原さんも着信やメールが来まくるんだろうな……

 別に憧れるわけじゃないが、素直に羨ましいと思う。

 メールの数だけ、コンタクトを求められているのだから。

 それだけの人に気をかけてもらっているっていうのも、幸せの一つなんだろうね。俺には全く無縁だ。

 いつものホームページを巡回する。特に変わったことはない。

 心霊動画を見て思う。彼らは、一体どういう気持ちでこれをネットに上げたのだろう。撮れた時はどういう心境だったろう。

 今回、心霊撮影会をして何も収穫はなかった。

 撮れたとして、みんなで騒いでネットに上げただろうか。

 ……いや、今はもう無関係だ。期待できるものなんて、何一つとして無かった。

 ボーっと動画を眺めていると、着信が来た。どうやらメールらしい。

「……んー?」

 俺の眉間にシワが寄る。

 どことなくおかしい……

『    さんからメールが来ました』

 相手の名前が、表示されていないのだ。

 この時、直感的にだが……ゾッとした。

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