十、危機の足音

【○】
 くそっ、チクショウ!

 俺は悔しさで地面を叩いた。

 武術は小さい頃から続けてたし、大会上位に入賞した経験もある。

 なのに今俺は何の変哲もないただのおっさんに歯が立たず膝を付かされている。

 隣を透かしているガラスの奥に目を向ける。

 変わり果てた姿となった愛する女性が涙ながら必死にガラスを叩いている。

 目の前の男は言った。シンプルにするとこうだ。

 あと十五分もしないうちに小百合は死ぬ。助けたければ目の前のクソヤローを倒してみろ。

 簡単かと思ったら違った。怒りに任せて冷静さを欠いた結果かもしれない……

「おやおや、もう終わりかな? 向こうの女が待っているぞ。ここで倒れては彼女に希望が無いではないか」

 クソヤローの挑発が耳につく。

 睨みを利かせる……何を思ったか奴はそんな俺を満足そうに笑いやがった。

「うむ……実にいい眼だ。しかしまだまだだ。そんな眼では私の持つ『狂者の眼』への到達は遠いな」

 奴の吐いた勝利条件……らしい。

 奴は既にそれを持っていて、奴に勝ちたければその目を会得するしかないらしい。

 ふざけんな!

 その眼を持っているかどうかで戦いの優劣が出てたまるものか!

 良い気になって奴が余所見をしている隙を狙い、俺は怒号を上げ全霊をかけて殴りかかる。

 スーツのポケットに手を入れたところまでは見えた。

 俺の顔面を液体が覆う。

 次の瞬間には尋常でない程の熱さと痛みで叫び声が上がる。

 肉を焼くような音は、俺の声でかき消されてしまった。

 熱い! 痛い!

 余りの痛みに瞼を開ける事がままならず、視界を捉えることができない。

 痛みを振り払おうと顔を手で拭うが、その手も謎の液体によって焼けてしまう。

 ただ、叫ぶ俺を嘲笑うクソヤローの声だけはハッキリと聴こえた。

「ハハハハハーッ! どうだ、硫酸を被るのは初めてだろ?」

 硫酸、だと? ヤロウ、硫酸を俺にかけやがったのか!

 そんな危険な物を隠し持っていやがったのか。

 奴が卑怯にも俺の顔を殴る。硫酸で焼けた部分だ。

 視界を失ったまま、次々と攻撃を浴びる。

 全身を巡る痛みに負け、俺は動く事を諦めた。すまない、小百合……俺はお前を救う事ができなかった。

 暗い視界のまま運ばれる。放り投げられたところで、優しい手つきが俺を撫でる。

 あぁ、その手は小百合だ。間違いない、小百合だ!

「ああぁぁあおぉううぅ……」

 言葉にならない声だ。でも愛しい声色はそのままだし、何を言いたいのかもわかる。

 何かのガスが充満でもしているのか、やけに息苦しい。

 いや……もういい。小百合がここにいる。今はそれだけで充分だ。

 でもせめて……

 幸せな最期を迎えたかった……







 そこで目が覚めた。

 俺は勢いよく起き上がり、汗まみれの顔をペタペタと触る。

 ……幸い痛みも焼けただれの痕もない。

「また、この夢か……」

 毎晩見る、不吉な夢。

 細かい人物は変われど、シチュエーションはまんま同じだ。

 タチが悪いのは被害者であろう人間の苦しみをそのまま俺も味わっていることだ。

 経験がないのに毎晩のように硫酸を浴びている。しかも途中で中断もない。勘弁してくれ。

 マキエの警告を受けた晩からの出来事だ。

 以前にも似た夢は見ていたが、感覚までハッキリと伝わるのはそれを境にしてだ。

 寝覚めは悪いが、もう良い時間だ。

 朝っぱらから着信のランプを点滅させている携帯電話に目をやる。

 マキエ、まさかお前が見させてるんじゃないだろうな。
【△】
 篠本から妙なメールが来た。


from 篠本成久
件名 ヤバイかも!
俺たちは監視されてるかもしれない、気をつけろ


 実に意味不明だ。

 前の心霊ツアーに関係しているらしいが、周りからそれらしい動きを一切感じない。何を以ってそう思ったのだろうか。

 それに誰からとかも無いし、完全にイタズラだろ。

 最近は頭に熱が上ってヘヴン状態だ。大谷ちゃんとの関係で浮かれているのだろう。

 まさか本当にあの流れで二人の交際が始まると予想していなかった。定本や佐々木さんも顎が外れたままだ。

 いや、ちょっとオカルト研の雰囲気が悪化気味だったからこういう流れ大歓迎だ。

 篠本と大谷ちゃんの初々しさは見ていてくすぐったいが、険悪より遥かにマシだ。定本だけは納得してないけど。



 次の週に心霊ツアーを控え、買い出しに縦浜に参加メンバーが集合。

 今度は撮影に大きく時間を割く予定である為、記録メモリやビデオカメラを購入することになっている。

 学祭に発表するという意気込みもあるので、その為にはみんなが一致団結しなければならない。

 買い出しも重要な活動である。

 今現在、俺の隣には篠本がいる。

 クリップボードを片手に買い出しリストをチェックしている。

「なぁ江城」

「ん?」

「カメラと雑品は別れた方が良いよな?」

 カメラ関係はどういうのを買うのかで意見を出し合った方がいい。

 それにカメラ以外にも撮影に必要なもの、撮影外でも重要なものは多い。

 今回は廃病院ではなく、心霊スポットの樹海みたいな場所だ。

 アウトドア系の装備も充実させる必要がある。

「そうだな。そっちが効率は良いな」

「そんでさ……」

 まぁ、大体次に篠本が言いたい事は予想できる。斑分けに関してだろう。

「言っておくがお前と大谷ちゃんは別行動だぞ」

「ちょっ!」

 案の定思った通りの反応だ。

「実はもうグループは決まっててな。篠本、佐々木さん、今岡さんがカメラ斑で俺と定本と大谷ちゃんが雑貨類だ」

 篠本の分かりやすいがっかり反応。

 気持ちはわからんでも無いが今日はオカルト研としての活動だ。

 始終いちゃつかれても困る。デートじゃないんだし。

「お、俺と嫁が引き裂かれるとは……くそぅ、なんてことだ」

 膝を付いてうな垂れるな。そして公共の場であまり嫁って言うな。実際未婚なんだし。

「……まぁ、適正を考えての斑分けだから」

「適正……か。仕方あるまい」

 背後に垂れる青筋を残したまま、篠本は自分に言い聞かせるようにブツブツつぶやく。

 そんな篠本を尻目に辺りを見回す。

 今岡さんと定本が一緒にやってきて、最後に佐々木さんと大谷ちゃんが合流した。

 大谷ちゃんは到着するなり篠本の傍に寄って声をかける。

 彼女の声で元気を取り戻した篠本。若干まだカップルというのに慣れてないのか緊張でガチガチだ。

 初々しく会話する二人を茶化す今岡さん。

 俺に元気よく挨拶する定本。

 部員達を見て笑顔になる部長佐々木さん。

 あぁ、やっぱこういう雰囲気が一番だ。

 心霊動画が撮れたとかの結果より、団結して活動するこの瞬間が俺達には大切だ。

 やはり行動は思い出になるからな……
【○】
 エドバシカメラ三階。

 カメラコーナーにて、ハンディカムを手に一組の男女が俺の前に立っている。

「……この機種(A社)は安い分解像度が非常によくない。解像度という点で考えればこの会社(B社)のは間違いないです。ただやはり値は張ります。バッテリーの持ちも差が出てるので、高い分性能は間違いないです」

 佐々木部長と今岡さんが難しい顔をしている。値段と実機を見比べて悩んでいるようだ。

「えっと、安い方がデジタルズームの倍率が結構高いけど、これってどういうことなの?」

「ズーム、という言葉に騙されちゃダメです。デジタルズームとは要は画像の引き延ばしです。倍率を上げれば上げるほど画質が粗くなるのでオススメできません。選ぶとすれば光学ズーム、つまり望遠レンズなので映像の質を損なう事がないんです」

 二人は再び唸り声を上げる。俺の説明が悪いのかな。

「篠本、お主としては一体どれが一番良いのだ?」

「一番……ですか」

 こういう悩みで一番多いのがベストなカメラは何なのか。

 答えは明確だ。

「……一番ってのはないですね。屁理屈を並べるとこれからもっと進化していくし、欲しい機能の為に値段が高くなったり二番目に必要なものが潰されたりします。だから、こういう時は『妥協』するのがベストなんです」

 佐々木部長の苦い表情は柔らがない。求める答えとは違うってことか。

「いや、言いたいことはわかる。しかし我が聞いてるのはだな……」

 俺はビデオカメラのモデルを三つほど寄せ集める。

 オカルト研に必要な機能を揃えているのはこれくらいか。

「ここからですかね」

 カメラのスペック表を確認する今岡先輩。

「高いもの以外光学ズームみんな無いじゃん」

 俺の選択に疑問を抱いてる模様。さっきまでズーム機能のことを話していたから、まぁ仕方ないだろう。

「心霊動画を撮るにおいてズーム機能ほど要らないものはないです。幽霊はおもむろに出てくるものだから広く見渡せる物がいいんです。解像度とバッテリーをメインに考えると、こんなもんですね」

 佐々木部長は値段を見比べる。

「なるほどな……差に開きがあるな」

 一番高いもので十三万だ。ズーム機能も揃えるとさすがに高いな。

「あとは買う人の判断です。ここから先はみんな同じ物と思って下さい」

 二人の表情がより険しくなる。

 値段差のある物を並べられて「同じもの」呼ばわりは確かに無いだろう。

「安物と高価な物が一緒とは……」

「だったら、絶対安い方じゃん」

 しかし俺の中にはハッキリとした理由がある。

「今後どうするか、です。ビデオカメラをオカルト研に提供するのか、あくまで私物として使うのか。後者である場合、部長の望む物を優先すべきです。そうなったら他のスペックを優先してもいいですけどね」

 そうなったら俺の熱弁は無駄に終わる。

「なるほど……」

 部長は難しい表情を崩さない。

「お前さんは、良いアドバイザーになれるぞ……」

 部長は長いため息を吐いた。
【△】
 雑品買い出し班には俺の他に定本と大谷ちゃんの女子二人が付き添いだ。

 買う物も大方決まっているのであとは女の子のセンスで左右される。

 懐中電灯や電池を大量に袋に入れる。

「ねぇ、江城君」

 定本が俺の腕を掴んで尋ねてくる。

「ん?」

「今回のカメラもそうなんだけど、今の買い出しのお金ってどこから出てるの?」

 今回のツアーに関して、現在のところ宿泊費以外で俺達部員から料金の徴収が成されていない。

 理由は至極単純である。

「佐々木さんのポケットマネーだよ」

「えっ、部長の!?」

「……大丈夫なんですか?」

 聞き耳を立ててたであろう大谷ちゃんも、その話には驚いたようだ。

「あれ、知らなかったっけ。佐々木さん、社長の息子さんで金持ちだっていう話。今回のツアーじゃ宿泊費以外は全部持つって言ってたよ」

「えぇー!」

「……すごい、です」

 女子二人の反応が面白いくらい大袈裟だ。というか、みんな知らなかったのか。

「篠本をカメラ班に回したのはそれが大きな理由だ。あいつだったら確実に後悔しないカメラ選びができる」

 そのカメラも佐々木さん持ちだからな。店員からは理解されない目的でも、篠本なら大丈夫だ。

「江城君って意外と篠本のこと信頼してるんだ?」

 納得いかないような、拗ねたような。そんな表情で定本は言葉を漏らす。

「前にパソコン選びに付き合って貰ってな。営業スタッフ顔負けの饒舌っぷりでマシンの性能を語っていたよ」

 おかげで安い値段で上位スペックマシンを手に入れた。

「ただのキモ男じゃん……」

 小さく、ボソッとした声を聞き逃さなかった。

 幸い、大谷ちゃんの耳に入っていなかったのか、無反応で陳列した商品を見ている。

「おい、ちょっと定本」

 俺は軽く手招きして呼び寄せる。

「大谷ちゃんの前なんだから、あまり篠本を悪く言うなよ」

 今は、少なくとも大谷ちゃんにとっては篠本は大切な人だ。悪く言われたら良い気にならないだろう。

「あ、うん……ごめん」

 謝るなら大谷ちゃんにだろ。



 必要なものを一通り揃え、佐々木さんの車のある駐車場に向かう。

 先に荷物だけでも置いていけるようにとスペアキーを借りている。

 免許はまだ取ってないので俺は運転不可だ。

「うわっ、大きい……」

 定本は嘆息を上げる。

 八人乗りの白い大型ワゴン車だ。そりゃ俺だって驚きを隠せない。

 これくらいあれば、確かにツアーにはもってこいだな。金持ちという話は伊達ではない。

 荷物を車に押し込めたところで、重大なことに気づいた。

「あれ、春っちは?」

 大谷ちゃんが消えていた。おかしい、さっきまで一緒だったのに。

『俺たちは監視されてるかもしれない、気をつけろ』

 篠本から来たメールがフラッシュバックし、嫌な予感がよぎる。

 篠本曰く、対象者は前のツアーに参加した俺、篠本、定本、そして大谷ちゃん。

 とにかく探しに行かないと。

 四年前と同じ事には……させない!

「定本! 大谷ちゃんに連絡を!」

「うん!」

 大谷ちゃんとは電話番号の交換をしてなかった。幸い、定本は確保していたので非常に助かる。

「……出ないよ」

 なんて事だ。向こうが出ないんじゃどうしようもない。

 篠本に連絡させるか……いや、できる事なら俺達だけで……

 定本が電話を切った直後、着信が来た。

「春っちからだ!」

「出てくれ!」

 俺は焦りからか、つい大声を上げてしまう。

「……西口の? うん、わかった、すぐ行く!」

 電話を切っても、定本は慌てた様子を崩さない。

「春っち、誰かに追われてるみたい。すごく慌ててた」

 くそっ! なんて事だ!

 嫌な予感は的中した。いつの間に……悠長な事はしていられない。

 俺達は彼女のいる場所へと、急ぐ。





 幸いにも、五分もしないうちに見つかった。

「おいおい、イイじゃねぇかよ。お兄ちゃん達と楽しいことしようよ」

「なぁ俺さ、ガチで一目惚れしちゃったんだよねー。黒魔術が趣味だっけ、俺流の黒魔術を教えてあげるよ」

「絶対君は売れっ子になるからさ、俺達主演でラブストーリーやらね? 濡れ場メインだけどさ」

「やぁ、イヤです……」

 大谷ちゃんは3人の不良どもに絡まれていた。腕を掴まれて逃げられないようだ。

 俺はすかさず息を吸い込み、怒号を上げる。

「おい! てめえら何やってんだ!」

 驚いた三人の不良達。最初はビビった様子だったが、俺が一人……一応後ろに定本がいるけど……と知るや否や威勢を取り戻す。

「あ? 何なの、キミ」

「俺達これから楽しいことするんですけど」

「邪魔だから帰れや」

 近づいて突然殴りかかってきた。

 立て続けに後ろの二人が蹴りを入れてきた。

「江城君!」

 離れたところで定本が悲鳴を上げる。

 大丈夫、ここまでは想定内だし、計算のうちだ。

 地面に伏せる俺を蹴り上げようとする足を両手で押さえ、立ち上がりと同時に強く捻る。

 一人転倒し、別の男が殴りかかってくる。

 その腕を掴み、勢いよく背負い投げをかける。

 倒れる間際に腕を引っ張り、頭へのダメージを防いでやる。

 俺の動きを見てか、最後の一人がたじろぐ。

「正当防衛成立だ……覚悟しとけよ」



 地面に伏せる三人の不良達。

 何度か殴られはしたものの、圧勝と言っても良いほどの流れだった。

「江城君!」

 定本が大谷ちゃんの肩を抱いて寄って来る。良かった、二人に危害は無かった。

「江城先輩、大丈夫ですか?」

 目を潤わせて心配そうな声で大谷ちゃんが声をかけてくる。

 無理もない、明らかに不良っぽい三人組に絡まれて怖くないはずがない。

 しかもその後に殴り合いの喧嘩だ。相当怖かったんだろうなぁ。

「大丈夫だ、これくらいなんて事はないさ」

「でも江城君って強いんだね! 三人の相手を倒しちゃうなんてすごい!」

 定本からの拍手喝采。得意気になるつもりはないが、二人を守れた事は誇りに思おう。

「武術は高校生の頃から続けてるからな……」

 元々は牧江を護りたい、という思いで始めた事だ。

 今は牧江が戻ったとき、武術を辞めたってがっかりさせない為に続けている。おかげで自負できる程には強くなったけど。

 俺は指を気分一新にパチンと軽快に鳴らす。

「さぁ、佐々木さん達の所へ戻ろう」

 俺は携帯を取り出して連絡を入れる。

 今胸の中には、篠本が懸念する事態ではなかったという安心感で満たされている。



 集合場所へと向かう道中に、人通りの中佇む一人の女性を見た。

 黒いストールを頭から羽織り、白い顔をさらけ出している。

 ……この光景に見覚えがあった。

 牧江を探している時の話だ。あの時見た光景によく似ている。

 気にはなったけど、佐々木さん達と合流しなきゃな。

「アレ、ちょっと気味が悪いね……」

 ボソッと、定本が耳打ちする。

 蚊帳の外は言いたい放題だ。当人の気持ちになってみろ。

 しかし、待ち合わせでもしているのか、忙しなくキョロキョロしている。

 あの光景の意味を知るチャンスだ。だがこの二人の目の前であの女性に声をかけるわけにもいかない。

 気に掛けていたら、一人の男性が彼女に慌てて近づくのが見えた。

 なんだ、ちゃんと待っている相手がいるんじゃないか。

 それならそれでいい。俺は意識を向き直して佐々木さん達の待つ集合場所へ向かう。



 喧嘩の傷を見てカメラ班三人は酷く驚いた。

 カメラ班もカメラ以外に多くの荷物を抱えている。

 バッテリーやメモリ関係がほとんどだったが、中にはシール等の事務用品や、何故か小麦粉や小さな杓子も入っている。それも篠本の立案だとか。

「……ベストな買い物ができたと思うぞ」

 そうコメントする佐々木さんに、吹き出したのは俺と今岡さんだった。

 やっぱ、篠本をカメラ班に回して正解だった。それだけは言える。
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