十三、亡者の腕

【○】
 夕食を終え、ビデオカメラをテレビに繋いで撮影した映像を確認する。

 俺がマキエに発動サインを送ったのを皮切りにゴーストカーニバル開始である。

 幽霊が可笑しいくらいに映りまくっている。これじゃ逆に合成とか言われかねん。

「ま、まさかここまで居たとはな……」

「よく全員帰ってこれたね……」

 映像を見て俺も震える。

 こんだけの幽霊が一斉に集まれば怪談としては生存不可のレベルだ。

「あ、篠本が犬に囲まれてる」

「ここらの下りは完全にギャグだよな」

 五匹分の犬の前足だけが俺を囲うように迫ってくる。俺もさすがにビビったぜ。

「いきなり後ろ足に変わったと思ったら、一斉にオシッコ掛けられてるんだもんね」

「犬の幽霊も然りだが、霊の尿なんて初めて見たぞ。これはある意味かなりの貴重映像だな」

 今岡先輩の笑い声。俺だけ変な遭遇のしかたをしてるんだよな。

 これもマキエの影響なのだろうか。




 鑑賞会を終え、みんな疲れたであろう事を考え、早くも寝ることにした。

 二十二時である。

 部屋に残るは男三人衆。

「さて、ここからがもう一つの本番……夜の撮影会だ」

「響きだけ聞くとエロいっすよね」

 部長の裏拳が俺の額に飛ぶ。ひでぇよ……絶対言われること期待してたくせに。

 これの意図は俺もよくわかっている。座敷童の撮影だ。

 塩で気休めの除霊だけではこびりついた霊を排除できるとも思ってはいない。

 そこで、寝ている間カメラを回して幽霊が現れるかどうかを確認するのだ。

 目覚ましタイマーをセッティングしてメモリの交換を出来るようにしておく。

 準備が完了し、カメラを暗視モードで起動する。

 俺を真ん中に川の字で寝る。

 マキエ効果がここでも発揮される事を期待し、俺は明日に備える為に目を閉じた。



 ハッキリ言って眠れるわけがなかった。

 幽霊がそこらを飛び交い、いつ怪奇現象が起きてもおかしくないこのホラーゾーンでグースカと眠れるか……

というわけではない。

「んごおおぉぉ……んごおおぉぉ……」

 まさに俺の隣で部長の大きすぎるイビキで睡眠を邪魔しているからなのだ。

 昼間あんな目に遭ってよくここまで豪快に眠れるものだ。逆に関心してしまう。

 マキエ遭遇時は疲労で何時の間にか寝落ちしてたからな……ここまでの図太さは俺には無い。

 目が慣れてきたおかげか、もう片隣で江城が不機嫌そうにこっちを見ているのが目に入る。

 そうか、お前も被害者か……お互い大変だな。

 部長のイビキが大変な騒音であろうと、いつかは眠れる。

 それを期待し、再び目を固く閉じる。

 すると、俺の口を何かが押さえこんだ。感触からして、犬の肉球……


 気づけば、両手両足ものしかかるように押さえこまれてる。

 慌てて目を開けると犬の前足だけが俺を押さえつけているのが見える。

 ……昼間のあいつらか!

 しかも野郎ども、叫ばせない為に口を塞ぎやがった!

 助けを求めて江城の方に目線を送る。

 江城のヤツ、起き上がって固まってこっちを見ていやがる。

 そして設置していたカメラを取り上げ、俺を撮り始めた。

 待てよ! まず俺を助けろよ!

 犬の後ろ足が召喚されたかのように頭の横にすっと現れる。

 この時点で、嫌な予感しかしない。

 おいまさか……冗談だろ?

 後ろ足が上げられる……

「んーーっ! んーーーっ!」

 口を塞がれ、まともに声を出せない。

 江城に最後の助けを乞う。

 ……拝みやがった。

 江城、てめええぇぇぇ!

 あ、ちょっまっやめっ……アッーーーーー!



 一通り用事が済んだのか、犬達は消えていった。

 お前ら本当何がしたいんだ……何が目的なんだよ……

 江城は笑いを堪えるように震え、ビデオを再設置する。お前も後で覚えとけよ……

 その後、特に異変は降りかからず、俺も眠気に身を委ねていた。

 犬が五匹まとわりつくという始終幸せな夢だった……多分あの犬達だろう。

 朝はスッキリするほど爽やかだ。犬に小便掛けられたとはいえ、相手は幽霊だ。匂いもべたつきもない。

 布団を畳んで、江城が笑い話にする。

「そんなことがあたのか……」

「ちゃんとビデオに収まってまっせ」

 助けようともせずコノヤロウ……

 着替えてバッテリーとメモリのチェックをし、片付けに入る。

 午前中に出て帰りがけにちょっと行楽地へ寄ろうという予定になっている。

 果たして、ガチ幽霊に遭遇して遊べる気分になれるかどうかは不明だ。

 いや、そもそも遭遇できると予想していなかったはずだ。その為の予防策だったのだ。

「じゃぁちょっと女子の方に行ってきます」

 江城が腰を上げ、ドアを開ける。

 寝起きの嫁や定本さんとか見れるのか……なんて役得だ。

「……なんで江城が行くんですか、俺じゃダメっすか」

「篠本が行くと大谷嬢に襲いかかるだろうからな」

 確かに、浴衣姿の嫁を見たら欲情ゲージがマックスを超えるかもしらん。

 しかし、そういうイメージが付いてしまった事が屈辱だ。




 朝食の席、テーブルで長いこと待ってやっと女子三人がやってきた。

 俺の嫁、大谷さんは恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯いている。

「おはよう、昨日はよく眠れた?」

 立ち上がって朝の挨拶をする。

 一度こっちを見て、「う〜っ」と泣いたような声を上げて、両手で顔を隠しながら俺に何度も頭突きしてきた。

 えっ、ちょ、どうしたの? イタタ!

 今岡先輩が笑いながら俺の肩を叩く。

「いやぁ……まさか君たちが本当に『清い関係』だったとは。いや、色々とごめんね」

「え、何があったんですか……」

 今岡先輩は悪びれることなく続ける。

「ごめんね、色々と『初めて』を貰っちゃった」

 言い回しを理解できず、きょとんとする俺。

 今だに頭突きを続ける嫁。

 今岡先輩の腕にまとわりつく定本さん。その表情はうっとりしている。

「先輩、すっごく上手だった……ちょっとクセになりそう」

「早苗ちゃんもすっごくうまかったよ。将来有望だね〜」

「春っちの乱れ方が一番すごかったなぁ」

「初めてとは思えない感じだったね。一緒にシテて楽しいタイプだよね」

 言葉に含みがあるのか、聞く度に嫁の頭突きの攻撃力が増してくる。

 あの……そろそろ本気で痛いです……

 今岡先輩が嫁の肩を叩く。

「春香ちゃん、ごちそうさま!」

「またしようね」

 定本さんが嫁のほっぺにキスをした。

 嫁は恥ずかしさに固まり、俺にしがみついてきた。

 あ、まさかそういうことなの……?

 百合かと思ったら、ガチだったの?

 複雑な気持ちが沸き起こりつつも、とりあえず抱きしめて頭を撫でた。
【△】
 行楽地への予定はキャンセル。

 真っ先に帰って各自まったりとする方向に話がまとまった。

 当然だろう。心霊体験しまくった後で遊びになんて行けるわけがない。

 一刻も早く部室に戻って大谷ちゃんのお祓いを受けなければなるまい。

 部室には本格的な黒魔術セットが置いてある。即席で行う物より効力は遥かに高い、と聞いた。

 車で山道を走る。

 今もビデオを回して帰りの情景を撮影中だ。

 座席は来た時と同じで、今は今岡さんがカメラを持っている。

「色々とあったが……楽しいツアーだったな」

 部長は非常に満足そうだ。

 想像以上の収穫に、不満があるわけがない。

「あたしはもうクタクター……しばらくはビデオ眺めるだけで十分かなぁ」

 対して定本はさすがに参ったようだ。

 ……俺ももう良いか。こんだけ体験出来れば確かに十分だ。

 願わくば、今日無事に帰れる事を……

 林を脇にして走っているときのこと、運転している佐々木さんに異変が起こった。

「おや……どうしたことだ」

「ん? 何かあったの?」

 見た感じでは、普通に運転しているだけだ。

「いや、ハンドルが……うまく操作できん」

「えぇーーっ!? ちょっと、大丈夫なの?」

 普通なら故障を考えるだろうが、俺たちの場合は違う。

 幽霊の仕業、真っ先にこのキーワードをみんな思い浮かべたはずだ。

「くそっ! このままでは崖に落下してしまうぞ!」

「ブレーキだ!」

「もう既に全力で踏んでいる!!」

 なんてことだ……ハンドリングが出来ないままでは非常に危険だ!

 俺はハンドブレーキを思いっきり引っ張ってみた。

 転覆しそうな勢いで車が回転し、林の中へ突っ込む。

 みんなの悲鳴が耳に痛かった。

 林の浅い部分で止まり、崖に落ちるような最悪のパターンは回避できた。

 脂汗を拭い、みんな息を整える。

「み、みんな……大丈夫か?」

 とりあえず生きている事を確認する……大丈夫だ、ムチウチにはなっているかもしれないが、命に別条は無いようだ。

 ホッと安心した途端、フロントガラスから大きな叩く音が聞こえた。

「キャーッ!」

「今度は何!?」

 フロントガラスに、べったりと巨人の手形がついていた。

 通常では、ありえない現象。

 ヤバイ……車の中も安全とは言い切れない。

 サイドのドアにドンドンと叩く音が響く。

 みんな一点を凝視して固まっている。

「先輩……」

 定本が今岡さんにすがりつく。今岡さんも、守るように定本を抱きしめる。

 篠本はというと、こんな時にメールを打っている。さすがに空気読めよ……そんな場合じゃないだろ。

 誰も触れていないのに、ドアが引き剥がされたように開いた。

「ヤバイ! みんな一旦車から出るんだ!」

 佐々木さんの掛け声で、一斉に外に逃げ出す。

「部長……!」

 篠本が何かを言いかけたが、俺の耳には入らず、俺はそのまま生い茂る草むらに転んだ。

「い〜のちだ……い〜きてる……」

「たすけてたすけてたすけてたすけて……」

「あおおあおあおあおああおお……」

 林の中から声が聞こえる。

 一つ二つではない、多くの声が絡み合って不気味な雰囲気を漂わせている。

 心霊現象で起きる行方不明事件。

 その答えの一つがこの現象なのだろうか。

 それは当人にしかわからないし、誰も知る事は出来ない。

 四年前の出来事を思い出す。牧江を含めた多人数と一緒にした肝試し。

 行方不明になるちょっと前に行ったイベント。

 関係があるのではないかと疑った事から、オカルトの世界に入り込んだ。

 これをきっかけに牧江を引き戻すことが叶えば僥倖だが、このままではみんなを巻き込んでしまう。

 木々が揺らめく。風は感じない。

 葉っぱが擦れる音に混じって、幾人もの呻き声が聴こえてくる。

「もう……いやだよぉ……なんなの、コレ……」

 定本が頭を抱えて泣いている。

 明らかにこの状況は危険だ。

どう乗り切り、脱出するか考えねばならない。

 俺自身が犠牲になってでも、みんなは帰せるようにしないと!

 白い顔が宙を舞う。現れては消える、左上部が欠落した顔。

「なんだ、アレ……」

 何かを捜すようにうろつく顔。多分求めているのは俺達だ。

 そして、見つかってはいけない相手というのもハッキリしている。

「いた〜……」

 対象を発見した顔はフっと消える。

 危険を直感したであろう佐々木さんが大きく横に飛んだ。

「くそっ! 来るな!」

 転がりながらも、見えない相手からダイナミックな動きで避ける。

 しかし追いつかず白い顔は突然現れ、佐々木さんの上半身を大きな口で囓った。

 幽体は彼の身体を通過し、佐々木さんはその場で倒れこむ。

「佐々木さん!」

 思わず俺は彼のもとに駆け出す。

 ヤバイ、これで俺もヤツに見つかってしまった。

 佐々木さんは全身が蒼白となり、体が痙攣している。呼吸も心なしか弱まっている。

「佐々木さん! しっかりしてくれ!」

 震える彼を大きく揺さぶる。

 か細い声で、何かを呟やいている。

「……いの、ち……おれの、も……の……いき……かえ、れる……」

 まさか、取り憑かれたのか!?

「たり、ない……も……と……も……と……」

 目が虚ろになり、前を見ているのかも怪しい。

 おい、どうしたらいいんだ……どうやったら佐々木さんを助けられるんだ?

「江城先輩……危ない!」

 大谷ちゃんの叫ぶ声。慌てて周囲を見回すが気配を感じない。

 どこへ逃げたら良いのか、その判断すら出来ない。見えない相手の襲来を避ける事なんて不可能だ。

 だから、動けなかった。

「上から来ます! 避けてぇ!」

 上を見ても何も見えない……仮に避けたとして佐々木さんはどうなる?

 何も出来ないまま呆けていると、篠本が割り込んできた。

「うぉっらあぁ!」

 何かを受け止めるかのように、両腕を上げている。

「は、弾きました!」

 驚いたように叫ぶ大谷ちゃん。幽霊を、弾いた?

「江城、大丈夫か?」

「俺は大丈夫だ、でも佐々木さんが……」

 篠本が佐々木さんに手を貸そうとしたのか、前屈みになった瞬間、前のめりに倒れ込んだ。

「篠本!」

「俺は平気だ! でも犬が、やられた……」

 犬? 犬ってまさかあの夜の犬か?

「俺を庇ってくれたのか……」

 篠本は突然立ち上がり、俺の背後に殴りかかる。その手には佐々木さんの聖石が掴まれている。

 聖石をぶつけるように、デタラメな軌道で振り回している。

「篠本先輩、効いてます!」

「あぁ、そうみたいだ……」

 篠本の体に犬の前足がしがみついているのが見える。

「篠本、体に付いてるの……」

「わかってる、どうやらあの犬たちみたいだ。おかげで曖昧だけどヤツの居場所がわかる。おい、あの二人を安全な場所に連れていけ!」

 何かにクイっと引っ張られる感覚が来た。

 逃走本能が刺激されたのか、無意識にその力に従い、木の陰に隠れる。

「さぁ来いよ……俺がぶっ飛ばしてやる!」

 いつもの篠本とは、目つきが違っていた。
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