十四、戦士の「眼」生え

 実に不思議な感覚だ。

 犬(おそらく柴犬)が背中にしがみついているのもわかるし、その影響からかあらゆる場所に「臭い」を感じる。

 犬がどこに居るのかも手に取るようにわかる。確かにさっき一匹俺を庇って消え去ってしまった。

 ヤツに対抗する手段はマキエから教えてもらった。

 霊道を繋ぐアイテムであれば、幽霊に対して物理的な攻撃が可能だ。

 水晶を使う場合、幽霊は殴られるわけではなく、吸収されるのだとか。

 幽霊ホイホイ(5980円)はそれに打ってつけの道具だ。嘘くさいと疑って悪かったと思う。

 それとさっき俺の嫁が叫んだ「弾いた」は実のところ正しい表現ではない。

 吸収されるのを恐れて「逃げた」のだ。

「匂い」を辿り、イメージを膨らませる。

 ヤツは俺を警戒してぐるぐる回っているようだ。

 よほど反撃を受けたのがショックだったみたいだ。

 ダメージが大きかったのか、最初よりかなり幽体が小さく感じる。

 犬は今四匹。

 しがみついているのは柴犬、江城と佐々木部長を木陰に引き連れたのはシェパードとゴールデンレトリバー。

 俺の足元で警戒しているのはトイプードルだ。

 さっき俺を庇ったのはサモエド……って和犬が柴しかいないじゃないか。どうなってんだ、あの学校は。

 顔の霊が背後から近づいてくるのを感じる。俺はすかさず後ろに振り向いて幽霊ホイホイで勢いよく殴る。

 幽体が分散するイメージを捉えた。手応えは絶大だが、敵も後手を広げていた。

 分散した幽体は俺の腕と胸を貫いた。同時に、身体中に悪寒が走る。

「しまった!」

「どうした、篠本!」

「俺も、やられた……」

 全身がだるい、呼吸も整わない、何よりもヤバイのは……
おれのもの

 意識が、
いきたい、たも、おれのいのち……

 
くらいつくす……気をしっかりもて!

 脂汗を拭い、頬を叩く。

 このままでは皆が、
おれのいけにえ、奴を倒さないと!

「篠本先輩、後ろです!」

 
うまそうなおんな、の声で俺の意識が戻る。

 存在に気付いても動く気力が湧かない。

 
おれはいきかえる

 トイプードルが、俺を蹴飛ばした。

 じゃまするな

 たまを いぬに むける

 いぬは きえた

 おれが ちかくなる

 かじる かじる おれは いきかえる

 てをひろげ おれはちかい


「篠本せんぱーーい!」

 
つかまえた

 
にがさない
 覚悟しろぉ!

 俺は薄れつつある意識の中で、どうにか幽霊ホイホイを幽体の中に突っ込む。

 霊に侵された左手で奴をガッチリ掴み、逃げられないように押さえる。

 ホイホイに吸収され、段々と幽霊が掠れていく。

まるで掃除機に吸い込まれるように……

 
やめろ やめ……

 意識が持っていかれる感覚は失せた。しかし吐き気や寒気は消えない。

 まだちらほらと幽霊が覗き見してやがる。

 俺は立ち上がり、視界に捉えられる限りの幽霊に向かう。

「うおおおぉぉぉ!」

 勢いに驚いたか、幽霊達は一目散に逃げ出す。

 何体か捕まえ、ホイホイに吸収する。

 幽霊の怯える顔なんて、初めてみたぞ……

 反撃してくる幽霊もいた。

 他の部員に取り憑こうとするのもいた。

 そいつら全てを、蹴散らしてやった。



 安全が確保された……幽霊がキレイサッパリ居なくなった。

 マキエや犬達は別だ。

 俺に取り憑いた幽霊も、本体が消えたせいで力を失いつつある。

 そいつのおかげで一時的に幽霊を見る事ができるようになったが、その影響ももう大分無い。

 俺だけが見えるであろう白いシルエット。

 背丈の低い、少女の影。

 表情は見えないが、あれがきっと……

「……やり過ぎだぞ、マキエ……」

 俺は足に力が入らず、その場で倒れた。
■■
 気絶する男を蹴り上げ、覚醒を試みる。

「うっ……」

 彼は深い眠りから目覚め、気怠そうに状況を確認する。

 相当頭を強く打たれたのだろう、頭を振って痛みを振り払おうとしている。

「……!」

 そして、気付いたようだ。

「さ、桜……桜なのか! クソッ、なんだここは、一体どうなってるんだ!」

 同時に、彼は自身が縛られている事に気付いたようだ。

「ようこそ柳葉浩介くん、我が城へ。あのサインを拾ってよくここまで辿り着けたものだ。素直に感心するよ」

 厳密には入り口で待ち伏せしていた部下に殴らせてここに運んだだけなのだが、そこまで来れれば十分だろう。

 ちなみに彼の名前は免許証で確認していた。

「あんた……どこかで……」

 顔は知っていてもなんらおかしくはない。

「ふむ、患者が多すぎて私自身が把握できていないが……私が診察したことがあったかな?」

 彼はどうやら私の正体に気付いたようだ。この場では隠すつはないが、正体を知られた以上、逃がすつもりはない。

「……あんた医者か? これは何の真似だ」

 次第に柳葉くんは視線に敵意を乗せるようになってきた。

「なんで桜を連れて……いやそもそもなんであんな姿に……」

 疑問が沸き立つのも無理がない。被験者を救いに来た人間は皆同じ反応だった。

 この状況に立って彼はまだ冷静な方だ。

「実験の良き協力者、と言えばいいのかね……難航はしたがそれなりに結果が出たのでね、プレゼントをと思ってね」

 彼の表情が徐々に怒りで歪んでくる。毎回同じ流れに飽きさえやってきそうだ。

「実験、だと!? あんな姿になるまで何をしたんだ!!」

「内容についてはノーコメントとさせていただこう。君に語ったところで到底理解が得られるとは思えん」

 私は彼に背を向け、真向かいのカーテンを開く。

「た、辰野! 高田さん!」

 別の男二人が、椅子に縛られて身動きが取れないようになっている。

 彼らには口に紐を噛ませ、無駄な発言ができないようにさせてある。

「君は約束を守らない男だな。一人で来るように指定したはずだが?」

「素直に従うかよ……明らかに罠じゃねぇか」

「罠と知って彼ら二人を巻き込んだというわけか。結果がこの様では被害拡大だな」

 彼は悔しそうに歯ぎしりをしている。

 この優越感こそ飽きない感覚だ。

「……どうするつもりだ? 桜も、俺たちも」

 さて、ここからが最後のお楽しみの始まりだ。

「私とて鬼ではない。この場面において、君達が助かる術はただ一つ」

 二指を真っ直ぐ彼に向ける。敵意を含んだ目は、私の期待する視線ではない。

「強行突破だ。実にシンプルで分かりやすいだろう?」

 そうだと言わんばかりに頷く柳葉くん。付き添い人に目をやると、期待していた展開であるかのように身体をうねらせる。

 ……なるほど、彼もそのクチか。

 しかし、その期待は一つの事実には及ばない。

 これからそのチェックが始まる。

「腕には自信があるタイプかね?」

 柳葉くんは不敵にも、笑みで返す。

「格闘技の試合で何度も勝った事がある。てめえのそのヒョロい身体が相手なら楽勝だ」

 同じ事を語る男は何人も見た。

 そして、やはりその事実には勝てなかった姿も同じ数だけ見た。

「ふむ、ならばその楽勝という言葉が真実か、それともただの虚勢か……」

 いや、まずあの話からすべきだな。

「柳葉くん、君は『狂者の眼』というのを聞いた事があるかな?」

「な、なに? 『強者』……?」

「『狂った者』という字を使う。聞いたことはないか。いや、業界用語みたいなものだ、知らなかったとしても無理はない」

 しかしそれは私との対峙において、非常に重要な要素となる。

「私に勝ちたいと思うなら、その『狂者の眼』が必要だ。いくら腕に覚えがあろうとも、それが無くては全く話にならない」

「ふん、デタラメを……そんなふざけた理由で俺がビビるとでも思ったか?」

 間違いなく虚勢だ。本物はこういう反応はしない。

「そもそも何だそれは。秘密のアイテムか何かか?」

 腕に自信がある者は決まって皮肉で己の不安を誤魔化すものだ。

 テンプレート通りすぎて逆に不安になる。あまり私を落胆させないでくれよ。

「……それは目つきとして現れることが多い。具体的には思想や意志に近い。これを確認するに当って適切な質問がある」

 この質問を投げるのも楽しみの一つだ。

「目の前に二つの檻がある。一つは君の大切な女性や友人、もう一つは君とは無関係の人間百人。巨大なミキサーがあり、助けられるのはどちらか片方だけ、もう片方はミキサーにかけられ死亡する。君はどうする?」

 この質問で、ほとんどの人間が答えを出すまでに迷う。質問の意図を読み取ろうとして「何が正解」か考えるからだ。

 その時点で狂者の眼を持っている事はあり得ない。

 計算を前に出して考えた……それだけで自分の意志が無視されるからだ。

 私が求めるのは「考えた」答えではない。心の奥底から引き出した揺るぎない意志だ。

 それでいて、真に狂者の眼を持つ人間なら、ある答えに到達する。

 その答えを即答できたなら、この私と初めて渡り合えるのだ。

「……下らねぇ質問だ。答える価値はない!」

 私は机の引き出しからα−ラトロトキシン入りの注射器を取り出し、人質の一人に打ち込んだ。

 私はこういう返答が一番嫌いだ。

 打たれた男は大きな叫び声を上げる。

「た、辰野っ! やめろ! 辰野は関係無いだろ!」

「そうだ、無関係だ。君が巻き込んだのだよ」

 罠と知りつつ一緒に来た事も、威勢の良い反論で飛び火が掛かったことも。

「立場というものを弁えたらどうかね? 私の機嫌を損ねる事は得策ではない。さて、質問を繰り返そう」

 柳葉くんは心配そうに辰野という男と私を交互に視線を泳がせる。

「……できるわけが無い。誰も、犠牲になんてな。無関係の人たちだって大切な人がいる。無視なんかできない」

 力なく、彼はうなだれる。

「その割には友人は傷つけたな……」

 敵意が充満した、力強い眼力。

 やはり、彼も違ったか……

「この問いには、明確な答えが存在する」

 そう、これこそ真の狂者。

「全てミキサーにかけてしまえ」

 柳葉くんの目が大きく見開かれる。

「大切な友人も、恋人も、家族も、無関係な人間も! 全てを犠牲にしてしまえ!」

 誰も到達したくないであろう答え。それこそが、狂者の眼を持つ者の条件。

「……アンタ、ヤバイよ。医者なんかじゃねぇよ……」

 震えるか細い反論。辰野くんにされた事を慮ってか、威勢自体はかなり弱い。

「ただの、人殺しじゃねぇか……」

「今頃気付いたかね。そう、それと同じ眼を持たねば、私に敵うことはない……」

 その理由は根底にある。

「剛介!」

 部下に命令をかけ、私は装置のスイッチを押す。

 隣の部屋にガスが入り始める。これは柳葉くんへのタイムリミットを意味する。

 筋肉隆々の知恵遅れの部下は柳葉くんの拘束を解く。

「君の愛しい女性はあと十五分ほどの命だ。致死性の高いガスを噴出した。止めたければ……まぁあとはわかるな?」

 彼は自分が解放された事に驚きを抱えつつも、迷いだけは消えているようだ。

「俺は人殺しなんかに負けねぇ。テメェをブッ殺してみんなを助ける!」

 何度聞いた言葉かな。それで実践できた人間なんて一人もいない。

 狂者の戦い方は、とてもえげつないのだ。

 彼が威勢よく殴りかかろうとしたとき、ポケットから催涙スプレーを出してかけた。

 牽制にはこれが一番だ。

 勢いが明後日の方向へ向き、彼は倒れる。

「なっ、なんだこれは!」

「防犯用スプレーだ」

 彼の手と腕あたりにかかったようだ。まぁ大したダメージでもあるまい。

「この……正々堂々と戦いやがれ!」

「そうだな、堂々といくか」

 私は左前腕の内側部を拇指で押す。二指と三指が開き、中からそれぞれ凶器が出てくる。

 二指に仕込んだメス、三指に仕込んだのはスタンガン。

 私の戦いを有利に進めるに当たって作成した義手だ。元々は医療の為に作ったのを改造しただけだが。

 二指を向け、さらに牽制をかける。刃物を目の当たりにして、少しばかり戸惑っているようだ。

 この時点で、もう勝負は決まっていたようなものだ……



 案の定の結果だった。十分もかからなかった。

 メスで斬られ、スタンガンも喰らい、極めつけはやはり硫酸だ。

 酸は素晴らしい、どんな屈強な相手でも確実に戦意を削いでくれる。

 二度掛けした相手は彼が初めてだ。おかげで見るに堪えがたい姿になってしまった。

「ひ、卑怯者め……」

 弱々しい声で訴える柳葉くん。

 そうやって罵ることでしか精神的優位性を保てないのだ。実に哀れだ。

「狂者に罵倒は通用しない。思考の次元が君ら『民の眼』とは違うのだよ」

 勝利という結果、自分がいかに傷つかないか、それだけを求めるなら「卑怯」という言葉も軽いものだ。

「……お前と同じ『狂者の眼』を持つヤツが、人の為にお前と戦うとは思えない」

 利害関係がハッキリしていれば対峙することはあるだろう。

 しかし誘拐された愛する者を助ける為に私と戦う事はあり得ないのだ。

 狂者は、愛する者も含めて全てを犠牲にするからだ。

 理屈の穴に気付いたか……私が負けることがない理由でもある。

「冥土の土産に、一つ教えよう」

 焼けただれた視線が、こちらに突き刺さる。

「特別な眼は『狂者の眼』だけではない。我々にとって天敵とも言える眼が存在する」

「狂者の、天敵……」

 それは狂者よりも遥かに少ない、幻とも呼べる眼。

「『戦士の眼』と言われている。もし本当に私に勝てる者がいるとすれば、その眼を持った人間だけだ」

 警察や軍人とも違うと言われている。それこそ、噂程度だ。

 ……いるはずがない。

 この私を脅かす、天敵なんてものが……

 いや、もし物語のように数奇な運命とやらがあるとすれば、心当たりが一人いる。

「江城優悟くん……だったか」

 彼が実際に持っているかどうかは不明だ。

 しかし、警戒はすべきだろう。
 おかしな現象は消えた。

 大谷ちゃんが聖石を使って佐々木さんと篠本の除霊を試みた。

 なんとか二人の呼吸が落ち着き、危険な状態は去った。

「車は動くよ! でも修理が必要になっちゃうかな」

 車の確認をしてくれた今岡さんが戻って報告してくれた。

「あのスピードでハンドブレーキ全開だったからな。動くだけでも救われるよ」

 とりあえずでも、帰れる可能性があるだけでもありがたい。

「ロードサービスまで待てないよ。早く逃げよう?」

 定本が涙目で訴えてくる。こんな場所にずっといるわけにもいかない。

 早いとこ二人を乗せて行ってしまおう。

 篠本を抱える。俺はこいつが倒れる間際の言葉が気になっていた。

『……やり過ぎだぞ、マキエ……』

 牧江、と言っていた。

 なんであいつが牧江の名前を知っているのか、付け加えれば圏外で動いたあの電話だ。

 俺の信じたくない単語が浮かんでくる。

 しかし、その点を結びつけていけば、納得できそうな気がしてくる。

「やっ、また何か聞こえてきた、早く行こうよ!」

 定本が騒ぐ。また幽霊がやってきたのかもしれない。長居は危険だ。急がないと!

 木々の擦れる音が聴こえる、風はない。

 その音に乗せて、声が聞こえてくる。

「みつけた……」

「いた……やっと……」

 不気味な声が、近づいてくるかのように大きくなってくる。

 最後に聞いた声は、ハッキリそう言っていた。

「せんしのめ……やっとみつけた」
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