十五、マキエと牧江 |
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【△】 | |
大学祭があともう少しで始まる。 今はツアーで撮影した動画の編集作業で大忙しだ。 想像以上の収穫に部員みんなてんてこ舞いだ。 「江城先輩……これ本当に僕がやるんですか?」 俺の隣で台詞を並べたルーズリーフを手に怯えている大男がいる。 熊長浩二、一年生。オカルト研一のビビり屋だ。 「熊長、これはお前が一番の適役なのだ。ツアー参加しなかったんだし、ここで一発男を見せてやるのだ!」 ビシッと指を天にかざす。女子にやらせるより、絶対彼にやらせた方がウケる。 「え、え〜っと、じゃぁやります……」 動画を再生し、マイクを持たせて録音ボタンをクリックする。 「……お分かり頂けただろうか」 熊長の声は声優に採用されるんじゃないかと言うほどの、実に「良い声」をしているのだ。 「いくつもの犬の足が、部員である篠本氏に寄っていくのが……ってもう無理ッス!」 「あーっ! 良い感じだったのに! どうしてやめちゃうんだ!」 「怖くて見てらんないっすよ……」 篠本と犬の下りは完全ギャグなんだがな。 「篠本が犬に小便をぶっかけられるだけだ。 これはそこまで怖くないぞ」 「犬の前足だけっていうだけでも充分怖いっすよ〜」 通常で考えればそうだけどさ。それ以上に怖い思いをしたから少し感覚麻痺を起こしているのかもしれない。 「よぉ! お二方!」 講義を終えた篠本がやってきた。 「あ、録音作業か? 今、俺マズったかな?」 「いや、元から録り直しだ。気にすんな」 カバンを置いて近づいてくる。熊長を見てニヤついている。 ろくでもない事を考えている目だ。 「ふふふ、君らに良いものをみせてやろう……お前達、出てこい!」 篠本の掛け声と同時に、三匹分の犬の前足が何もないところからスッと現れる。 おいおい、まさかツアーのときのあいつらかよ。 「ひいっ! 犬の足!」 熊長の声に反応したのか、てくてくと三匹の前足が寄ってくる。 「わっ! こ、こっちに来た!」 それで逃げるもんだから前足達も追いかけてくる。 熊長が部室から逃げてしまった。 加えて、前足達も熊長を追って出て行ってしまった。 「あいつら、ああ見えて無害なんだよ。だから怖がる事ないのに」 ウヒヒ、とイタズラが成功した子供みたいに笑う篠本。 篠本の様子に、どうしても違和感を拭えない。 普通、幽霊がやってきたとあれば、どんな相手であろうとも平静でいられるはずがない。 篠本は怯えて気がおかしくなるどころか、今みたいに操るまでに順応している。 幽霊に慣れている……としか言いようがない。 そしてそれは、先日の疑惑と結びつく。 沸き起こる疑問を篠本に結びつけるなら、全ては繋がるかもしれない。 そこには、決して目を逸らしてはならないキーワードがある。 『……やり過ぎだぞ、マキエ……』 開けてはいけないドアかもしれない。しかし、開けなければ前に進めない。 やっと前進できる道を見つけたんだ。立ち止まるわけには、いかない。 篠本が熊長を追い払ったおかげか、幸いなことに部室は篠本と二人きりだ。今ほど良いタイミングはない。 決意の固唾を飲んだ。 「なぁ、篠本……」 「ん?」 ドアノブに手をかける。深呼吸して、ドアを開く。 「牧江を、知っているのか?」 空気が凍りつく。誤魔化されたら終わりだ、ここで踏みとどまってはダメだ。 「ツアーの帰り、あの心霊現象でお前が倒れたとき、確かにお前は牧江の名前を呼んだ」 あの衝撃を忘れるはずがない。 目を泳がせて、困ったように「あ〜うん……」と唸っている。 「いつかは、話すべきなんだろうとは思ってた」 出てきた言葉は誤魔化しでも、適当な嘘でもない。 点が線で繋がる瞬間だった。 篠本は牧江の事を知っている。それは、同時に信じたくない方向に思考を進ませる。 「マキエは江城のこと知ってるみたいだし、コンタクトを取りたがっていた」 だとしたら、篠本のいう「マキエ」と俺の知る「牧江」は同一ということか。 俺の心拍数が徐々に上がる。 「でもなかなか話す気にはなれなかった。江城がマキエを覚えてない可能性だってあったし、信じないかもしれない、とも思った」 俺の抱える思惑は、篠本からすれば知りようもない話だ。 篠本の懸念は理解できる。 「何より、お前の死んだ知り合いの事を話すのが、俺の中では嫌だった」 牧江は死んでいる……篠本はハッキリとそう言った。 「そうか……やっぱ……」 亡くなっていたのか…… 「す、すまん」 「いや、篠本は悪くない……」 希望の糸が、ぷっつりと切れた。 待ち続けた四年の結末が、今訪れたのだ。 俺は椅子にもたれかかり、脱力して天井を仰ぎ見る。 ため息を繰り返し、無意味に「そうか、そうか」と呟く。 しばらくして、生まれた疑問を投げかけた。 「篠本、そもそもなんでお前が牧江の事を知っているんだ? それに俺にコンタクトを取りたがっているってどういうことだ?」 篠本は携帯電話を取り出し、俺に手渡す。 「マキエは俺の携帯に取り憑いているんだ。この電話を通して、マキエと対話す事ができるんだ」 俺は篠本の携帯を開く。 突然、メールがやってきた。 「メールだ……」 突き返すと、篠本は首を振った。 「マキエだ。開きなよ」 ボタン操作をする。何の過程も踏まずにメールの内容が出てきた。
俺は咄嗟に目元に指をなぞらせる。 指が、濡れていた。 「牧江は、俺のこと見えているのか?」 「どっちかっていうと、空気や雰囲気を察知している方かな。目には見えていないんだ」 俺の手から携帯電話を取り上げる。 「だが写メという形でなら、マキエにこの世界を見せることができる」 俺は牧江を見ることができなくても、牧江に俺を見せることは可能。 不思議だ。普通では考えられない現象を、すんなりと受け入れてしまっている。 亡くなっていたとしても、存在としてか確かにそこにいる。 俺はもう牧江を待つ必要はなくなった。 今までの俺が無駄だったとしても、これまでの俺を続けよう。 これは、牧江がくれた財産だ。大切にしなきゃ、やはり牧江に顔向けできない。 不思議だが、篠本の携帯を覗けば、牧江に会えるんだ。 「……ちょっとだけ、借りてもいいか?」 篠本はため息を一つついて、再び俺に手渡し、出口に向かって俺から離れていく。 「普通に返信すれば話せる。電池を喰うからほどほどにな」 積もる話はたくさんある。 俺の上位機種とあってか、操作に迷いは無かった。 ただ、なんて打ち込もうか……そっちが悩みだった。 |
【☆】 |
篠本君のテンションが上がりっ放しだ。 この間の連休明けからへこたれる事を知らないかのように元気だ。毎日が楽しくて仕方ない、そんな印象。 とても良いことだと思う。前みたいに暗いオーラばかり放っているよりずっと健全で周りへの印象もいい。 「来週の土日どっちか、空いてます?」 私に話しかけるとき、以前はすごく緊張しているように見えたけど、今はごくごく自然に、友人感覚で声をかけてくれる。 恋人ができたという噂は本当だったのか、女性慣れしてきているようにも思えた。 「土日? うーん、そうねぇ……」 実のところ、休日は誰かと過ごすという事はあまりない。 映画を見に行ったり、買い物に出かけたり。大学のレポートもたくさんあるから、遊びにいく予定はあまり入れない。 要はその気になれば、暇を作れる。 「何かあるの?」 私は簡単に誘いには乗らない。本当に行く価値のあるお誘いしか興味を持たない。 それは牧江を探し求めた日々で得た教訓にある。 時間は、無駄にしたくないのだ。 「大学祭があるんですよ。俺らのサークルも出展するんで、是非とも来て欲しいなって……」 篠本君はオカルト研究のサークルだって言っていた。 正直、期待を持てる名前ではない。 「……えっと、どんなの出展するの?」 明らかに時間の無駄……になりかねない。適当なサークルがするのはせいぜい食べ物を売るくらいだ。 「俺たちが行った心霊ツアーのビデオ上映会とか、黒魔術実演とかです」 ……期待度ミニマム。 そんな展示に人が集まるのかしら、むしろ怪しい。 篠本君が内緒話をするかのように耳に口を寄せる。 「あぁ、あとこれは特別にバラしちゃいますけど……幽霊と握手会です」 ……はい? 突拍子もない単語に思わず声を上げそうになる。 「あ、厳密には『お手』になるんすかね……」 意味がわからない。第一幽霊と握手したら呪われたりしないのかな? 「信じてないって目ぇしてますね。じゃぁあの辺りをじっと見ていて下さい」 そう言って篠本君はレジの内側を指差す。当然そこには何も無い。 「よしよし、ゴン助、出ておいでー」 小動物を呼ぶような小さな声で手招きしている。 突然、スッと何も無いところから犬の前足らしき影が現れた。 ……前足だけ。 「ひぃっ……」 「シーっ! 叫んじゃダメっす!」 必死の形相で篠本君が「静かに」のジェスチャーをする。 いや、だって、犬の前足が…… 「無害ですから、大丈夫ですから!」 足から上が無いのよ! あ、しかも普通に歩いてる…… 無害と言われてもすごく気味が悪い。 「ゴン助、引っ込め!」 篠本君が追い払うように手を振ると、前足は何も無かったかのように消えていった。 「犬の幽霊っす」 キリッと言われても、その……困るわ。 「ネタバレになっちゃいましたけど、これが今回の目玉です」 あぁ、うん……そ、そうなの…… 「それ以外にも驚くものを用意してます。後悔させないっすよ」 いや、それ絶対に後悔するから。見なきゃ良かったって絶対思うから! 普通の人と感覚がズレているのかな……ちょっぴり怖いな。 「来てくれたら嬉しいっす。きっと犬達も喜びますよ」 喜ばれてもこっちは嬉しくなーい! しかも「達」って、何匹もいるの!? 「こ、今度の土日ね……考えておくわ」 私なりの精一杯だった。 篠本君の学祭当日。土曜日。 ……来てしまった。 理由は単純。無視したら呪われるのではないかという強迫観念から。 共学のお祭りとあってか、生徒たちの活気も強い。 それぞれが自分たち主役のお祭りを楽しんでいて、来るゲストたちもその雰囲気にはしゃいでいる。 女子大の上品な雰囲気とは大違いだ。 牧江がいたらちょうど一年生の年代だ。 あの子ならどんなサークルに入ってどんな活躍を見せるのだろう。 想像する事しか出来ないけど、流れる雰囲気を傍観して、牧江の姿を重ねる。 男子学生が声をかけてくる。私は丁重に断り、パンフレットを片手に篠本君のいるオカルト研究サークルを目指す。 「……へぇー、面白いもんだねぇ」 オカルト研究サークルのブースから、女の人の声が聞こえる。 「新野さん、あまりシェリーをいじめないで下さいよ。ホラ、それもう犬の関節ができる動きじゃないですから」 恐る恐る覗き込んでみる。 中にいる三人はみんなメンバーだろうか、椅子に座った女の人が犬の前足を指揮棒みたいに振り回している。 「シェリーちゃんおもしろーい! 篠本さん、貰っていい?」 「好きにして良いですけど、家に持ち帰っても俺の所に戻ってきますから」 犬の前足を持って帰るって……やっぱりオカルト研究の人はズレてる〜。 「……お客さん」 黒いマントを羽織った背丈の低い女の子が私を発見した。 篠本君が即座に反応。逃げるタイミングを失った私。 「あっ、楠原さん!」 「あ、あはは……来ちゃった」 観念してブースに入る。 パソコンが二台と、魔方陣が描かれた布のスペース。 そして、小さなお立ち台が用意されている。 「開始早々真っ先に来てくれたんですね、なんか感激っす」 うん、呪われたくないから。 「……篠本先輩、その人は?」 マントの女の子が彼を睨みつける。 「バ、バイト先の先輩だよ……」 篠本君の返答はどうもしどろもどろだ。 なるほど、この娘が篠本君の…… 「は、初めまして。楠原です」 思わず自己紹介しちゃったー! 「とりあえずいらしたんですから、まずこちらへ……」 篠本君が「幽霊と握手!」と描かれたお立ち台へ誘導しようと手招きする。 仕方なく彼に従い、前の椅子に座る。 「好きな犬を選んで下さい!」 フリップに柴犬、シェパード、ゴールデンレトリバーの写真。 ネタバレしているせいか、この後が簡単に予想できてしまう。 全部で三匹もいるんだ……先日は柴犬で、さっき女の人が振り回していたのはレトリバーの足。 私は恐る恐るシェパードの写真を指差した。 「シェパードとは、なかなか渋いっすね。じゃぁ手のひらを上に向けて差し出して……」 何となく、見てないのコレだけだから……って理由なんだけどね。 言われるがままに従う。 「ドリル号、お手!」 篠本君の掛け声で、スっとシェパードの前足が私の手のひらに乗っかってきた。 「……いやああああ!」 わかってはいたの。でもそんなの抜きで、普通に怖い。 あぁ、実に嫌だ。肉球がぷにぷにしてる。心なしか毛並みの存在も感じる。 「やっぱりこういう反応になるよね……」 「……私たちが慣れすぎたのかもしれないです」 サークルの女の子たちは至って冷静だ。 あぁ、レトリバーの足で頬杖しないでぇ…… 次にパソコンの前に座らされる。 ホームページが映し出され、タイトルが並べられている。 『窓越しの顔』『教師の霊』『許されざる紳士』『犬霊との出会い』などなど。 ……心霊ビデオのタイトル!? 「俺たちの撮ったやつです」 犬の足からして、ビデオが合成という可能性はむしろ低そうだ。にわかには信じられないけど。 足は本物の幽霊で、ビデオが偽物とか逆にありえない。 サークルメンバーの期待する視線。感想を聞きたいのね…… 適当にクリックする。 流れた映像は騒ぎながら走るメンバーの姿。 『だ、大丈夫っすか……?』 『なんとか、な……さすがに』 息を荒げる大柄な男性部員。撮影者は声からして篠本君だ。 『まだまだ出るかもっすね』 『まだまだって……篠本、案外冷静だな』 カメラは窓の方に向けて固定される。 『……どうした?』 『いや、あそこにいるかなって……』 そこでブツリと画面が黒くなる。 一通り映像が流れたけど、異変に気づかない。 『お分かり頂けただろうか……』 解答編を見て、背筋が凍る。 窓の方ではない、前屈みになる男性部員の背中の方に手が生えたように伸びている。 うそ、これ嘘でしょ……? 『部長の佐々木氏に、助けを求めている……とでも、言うのだろうか』 言うのだろか、じゃないわよ! なんで彼らはこんなビデオ撮ってニコニコと平然としていられるの!? うわ〜、やっぱ来なきゃ良かった……絶対夢に出てくるよ〜。 写真もあるので見てみる。 篠本君の左手が消えている画像があった。 身体の一部が消える写真は大怪我の予言と言われている。 心霊現象は彼の方が詳しいはずだ。これを見てどう思っているのだろう…… 「おっ、早速お客さん来てるね! 順調じゃない?」 入口から聞き覚えのある声が聞こえてきた。思わず勢いよく振り向く。 「あ……」 「ん?……あぁ! 楠原さん!」 今岡さん、なんて懐かしい顔だろう。 「あれ、今岡先輩知り合いですか?」 「うん、高校までのクラスメート。あたし卒業してこの大学に入ったからね」 高校にいた頃とあまり変わらないなぁ。前より大人っぽくはなったけど。 「ってことはだ……懐かしい顔が、もう一人いるよ」 同時に、男の人がブースに入ってくる。 彼の顔も、覚えがあった。 「江城、くん……」 「お、お姉……さん」 思わず声を失った。驚きでも次に出てくる言葉が見つからない。 まさか、こんなところで再会をするなんて思ってもいなかった。 |
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