十八、楠原マキエ・後

【☆】
 牧江が居なくなってから、みんな毎日のように捜した。江城君も退院してからすぐに加わった。

 牧江の友達や、私のクラスメイトも協力してくれた。今岡さんはその一人だ。

 警察に捜索願を出し、ソーシャルネットワーク「maxi」も使って少しでも情報を手に入れようと躍起になった。

 情報は何度か飛び込んできた。

 でも求めるような確かなものはなく、情報と交換に身体の関係を迫ってくる男の人もいた。

 密会という形で、情報を得る場合には江城君の手を借りた。

 少なくとも、彼と一緒ならば安全だ。お父さんは信用してないけど。

 大体は偽の情報だった。江城君の威勢に誰も耐えられず、逃げ出した。

 結局、いくら待っても情報はやってこなかった。

 インターネットの掲示板でも、結局は有効な情報は得られず、ニュースにも取り出されず、何の進展もないまま二週間が過ぎた。

 そこから、奇妙な現象が起こり始めた。



 少しでも手掛かりを掴もうとして夜遅くまで捜索のチラシを配り終え、疲労感に包まれた居間にて。

 お父さんはこの日も頭を抱えてため息を吐いた。

「はぁ……牧江、一体どこへ行ってしまったんだ……今どこで何をしているんだ……」

 私もお母さんも気持ちは同じだった。そして、きっと江城君も……

 家の電話が鳴る。

 少しでも情報が欲しいと躍起になったあまり電話番号を公開した。

 そのほとんどがイタズラ電話で、中には私に迫るような内容も多数あった。

 家族みんなが疲れていたこともあり、誰も動こうとはしない。ここでイタズラ電話なんて取りたくない。

 一向に止まないコール音。

「……里美、出てあげなさい」

 無言で立ち上がり、電話の前に立つ。

 表示された名前に驚きが生まれた。

「お父さん、お母さん! 牧江から!」

 反射的に飛び上がり、電話の前に並び立つ。

 確かに、ディスプレイには「牧江」の文字がある。

 恐る恐る、お父さんは受話器を手に取った。

「も、もしもし……牧江か? 今どこにいるんだ?」

 父の反応を伺う。じっと集中したままだ。

「……何も聞こえない」

 今度はお母さんが受話器を耳に当てる。

「牧江なの? ずっと連絡くれないから心配してたのよ。どこにいるの? 教えてくれたら直ぐに迎えにいくわよ」

 しばらく応答を待って、首を横に振る。

 今度は私の番だ。

「牧江、お姉ちゃんよ。高瀬さんや本橋さん、大野さんも牧江のこと心配してたよ。もちろん江城君も……今どこにいるの? 教えて……」

 しばらく返事を待とうとしても無反応だ。

『サー』という砂嵐のような音と、微かに聞こえる男女の言い争いらしきくぐもった音。

 返事は無かった。

 そして、突然ブツリと切られた。

 これと同じ現象が何度か起きた。

 経過は非常に良好だ。

 今までに無い現象、瞳孔が赤く染まった時は焦ったが、それこそが正しい反応と気付き、安堵した。

 基礎体力や健康状態を測り、今までとの違いを考える。

 単に若ければ良い、というわけではないらしい。

 血液型か……AB型は確かに希少だがそこで決めつけて良いものか、それも判断に迷う。

 過去のデータをざっと見比べる。

 血液型で言えば彼女が初のAB型か。第一条件はそれでいいかもしれない。

 あと、処女であるのも初か。年齢を考えればおかしくもない。

 投薬を幾度と繰り返し、足を鎖で繋がれた楠原牧江はまるで猛獣のようだ。

 衣服をストレスで引きちぎり、だらしなく涎を垂らして胸に抱える苦しみと戦っている。

 相当な悪心だろう、可憐だったあの女の子を知る人が見たらどんな表情をするのか、想像するだけで笑いが漏れる。

 しかしこんな生活が二週間も続いているんだ。

 そろそろ気が触れてしまう頃だ。

 そこで、私は一つ希望のエッセンスを与えてやるのだ。

「……苦しいかね?」

 声をかけると敵意にギラついた赤い眼が私を貫く。

 呼吸は本物の獣のように荒く、私を殺す機会でも伺っているようだ。

「落ち着きたまえ、君が喜ぶ物を持ってきた」

 スーツのポケットから取り出す。

 それを目にした牧江君に人間らしい目つきが戻った。

「け、ケータイ……」

 彼女が愛用していたものだ。

 彼女の許可なくいじる。電話帳から一番効果的な文字を探し、コールする。

『も、もしもし……牧江か? 今どこにいるんだ?』

 彼女の反応が変わった。

「お父さん? お父さん!!」

「無駄だ、マイクを塞いだから向こうには届かんよ」

 携帯電話のマイク部分はテープを何重にもして塞がれている。どんなに叫んでも無駄だ。

『牧江なの? ずっと連絡くれないから心配してたのよ。どこにいるの? 教えてくれたら直ぐに迎えにいくわよ』

「お母さん! 捕まったの。助けて……助けて……」

 涙混じりの訴えだ。あぁ、この哀れな少女に救いはあるのか……

 今この電話こそが、救いなのだ。

 あまりの切なさに、笑いが込み上げてくる。

『牧江、お姉ちゃんよ。高瀬さんや本橋さん、大野さんも牧江のこと心配してたよ。もちろん江城君も……今どこにいるの? 教えて……』

「お姉ちゃん、みんな、江城先輩……」

 電話口から聞こえた名前に、聞き覚えがあった。

「江城、聞いたことのある名だ……」

 私の言葉に反応したのか、目を私に向ける。

「江城先輩を、知ってるの!?」

「江城雄一郎ならばな」

 忘れようがあるまい、なぜなら……

「先輩の、お父様の名前……」

 前回の遊び相手だったからだ。

「ほぉ、これはまた奇妙な運命だな」

 まさか今回の協力者が、その息子の知り合いとはな。

「君の彼氏かな? 名前は……ほぅ、優悟くんか」

 勝手に覗かれた悔しさからか、牧江くんは顔を赤くしてそっぽを向いた。

『牧江……? 牧江なのか! どこにいるんだ、返事してくれ!』

 彼氏に電話をかけてやった。

 牧江くんはひどく狼狽し、声を荒げた。

「やめて! 私を帰して! もう家に帰りたい!」

 嗚咽を混じらせて懇願する。あぁこの瞬間がたまらない!

 ここまで参らせれば充分だ。

「だったら、実験に協力してくれたまえ。投薬のたびに暴れられては困るのだよ」

「いや……もう嫌ぁ……」

 いたいけな少女は涙を流し、首を振る。精神は限界に近いか。

「協力してくれたら、君を家族の元へ返そう。約束だ」

 当然約束は守る。当然な……

『牧江! どうしたんだよ、何か言ってくれよ!』

 スピーカーからの訴えに、応える術はない。

 通話を切り、携帯を彼女に投げ返す。

 食べ物を前にした乞食のように、慌てて拾い上げる。

「好きにしたまえ……」

 保管庫から出て行く。私は去り際に電波補強装置の電源を切った。

 扉を閉じると、再び叫び声が聞こえてきた。

 さっきまで繋がっていたはずの電話が突然圏外になったのだ、当然不思議に思うだろう。

 通話が無理ならメール、と思っただろうな。

 見え見えなのだよ……外部への連絡を許すものか。
【☆】
 牧江が消えてから一ヶ月が経った。

 私は今も探す事を辞められず、夜の縦浜を歩いた。

 夜道を女の子が一人、は危険ということで今岡さんも一緒になって探してくれた。

 別の範囲を江城君も捜索中だ。

 人混みの中をあれかこれかと見回す。

 この集団の中に牧江がいてくれたら……という淡い希望だ。

 店の光で照らされた中で、奇妙な姿を発見した。

 黒いストールを頭から羽織り、青白い肌を覗かせている。

 背格好から、女の子だという予想はできた。

 見覚えのある輪郭だった。しかし同時に違うと願う気持ちも働いた。

 牧江が、あんな痛々しい姿になっているはずがない。

 あんな姿になるまで苦しい思いをしたと思いたくない。

 そんな自己中心的な願いだった。

 それでも一縷の望みをかけ、彼女に近づく。

「ちょっと、楠原さん! どこ行くの?」

 今岡さんが私の腕を引く。

「あの、ストールの人……牧江かも……」

 確信はない。でも散々振り回されたこの捜索活動で、やっと見つけた姿。

 今だに鳴り響く「他人だ」と囁く葛藤を振り切り、彼女の前に立つ。

「ぅあ、あううああお……」

 彼女の口から言葉は聞き取れなかった。

 ただ、必死に何かを訴えるように私にしがみつき、喋っている。

 声は枯れ、頬は痩け、肌はボロボロになり、白髪も所々生えて目が赤い。

 ストールの上から彼女の肩に触れる。

 筋肉が細り、骨の感触すらある。

 瞬間的に見れば、老婆だ。とても十五歳の女の子には見えない。

「おやおや、こちらにいましたか……失礼、突然出て行かれたので捜してたのですよ。引き止めてくれて感謝します」

 スーツ姿に丸ハットをかぶった一昔前の紳士が、彼女の肩を掴んだ。

「あの、この人は……」

「さぁ、『かなみ』さん、戻りましょう……」

 私の問いかけを振り払うように、紳士はストールの娘の背中を押して引き返すように離れる。

 ストールの彼女は抵抗するように踏みとどまろうとするが、彼の力に勝てないのか、ズルズルと進んで行く。

 彼女は何度も振り返り、目で私に訴えかける。

 牧江に似ている彼女、でも紳士は彼女を「かなみ」と呼んだ。

 やっぱり、別人なのかもしれない……

 私が可能性を捨てきれず叫ぼうとしたとき、今岡さんが私の腕を掴んだ。

「行こう……」

 人混みの奥で彼女の暴れる声がしたが、戒めるような男性の怒号で収まった。

 人の波が広がり、彼女との距離が開く。

 彼女の影が見えなくなっても、私の視線はそこを向いていた。

 去り際に、紳士が紙を一枚落として行ったが、拾おうとする前に今岡さんに引っ張られて取ることはできなかった。

 あの娘が本当に牧江だったのかは今でも定かではない。

 ただ、あの変わり果てた姿だけは、忘れることはできなかった。
【△】
 何度も同じ場所をぐるぐる巡り、俺の息も上がりかけている。

 この日も捜索を打ち切ろうかと考えたその時、奇妙な光景を見た。

 黒いストールに包まれた女の子だ。

 女の子は誰かを待つように立ち尽くしている。

 不健康そうなその顔は誰かに似ていた。

 彼女が俺に気づいたのか、チラッとこちらを見て、慌てて反対方向へ向き直った。

 一体何だろう、と思いつつも彼女の方へ足を進めると頭に男の声が響いた。

「来るな……」と。

 ドスの聞いた大きな音だった。

 他の誰にも聞こえなかったのか、声の事を気にする人はいなかった。

 今一歩進めたら、より大きな声が制止した。

 さすがに俺も恐れ慄き、彼女から離れて行った。

 一体何がどうなってるんだ。しかし俺だけに聞こえる声もあって、諦めざるを得なかった。

 女の子のすすり泣く声が聞こえた。

 それだけが頭に残った。
 牧江くんが開放されるチャンスを失ってから一週間が経った。

 抵抗する力を失い、這いつくばっている。

 投薬のしすぎからくる症状で、あとは吐血して息絶えるのを待つだけだ。

 彼女の身体から血液を大量に頂いたのも要因の一つだ。

 虚ろな赤い視線で私を捉えようとするが果たしてまともに見えているのだろうか。

 そんなことは私には関係ない。

 最後までよく協力してくれた。死にゆく前に褒美でもくれてやるか。

 携帯電話を彼女のそばに置いてやる。

「かけたらどうだね?」

 最後の力を振り絞って携帯を握る。そこまで携帯に固執するのか。

「おあ……あん……お、あ……あん」

 耳にも当てず、言葉にならない声で携帯電話に喋りかける。

「おえん、あぁい……おぅ、あえぇ……あい……」

 奇妙な光景だ。電池を抜いた携帯に話しかけている。

 これは繋がっていると妄想していて、勝手に喋っている状態だ。

「おぉえ、あん……いあぁ、いいあ……あい……」

 届かない声は実に痛々しい。

 見捨てられたというのにまだ家族の下に戻りたいというのか。

「えいぉ、えんあぃ……うう、ぃ……あぅ……」

 何かを言い終える前に、口から血を吐き出し、そのまま力尽きた。

 最後まで騙された可哀そうな少女よ、君のおかげで実験の結果は大成功に終わった。

 君の隣人は忘れたとしても、私は君を忘れないよ。
【△】
 牧江がいなくなり、捜索も打ち切り。

 警察の連絡を待つだけという受動的な状態になった。

 楠原家はもう既に諦めている、らしい。

 俺は目標を本格的に失い、全てにおいてやる気を失せてしまった。

 しかしそれもまた短期間で終わった。

 俺だけでも、牧江の帰りを待ってやらないと……その為に今までしていた武道や勉学を再開した。

 帰ってきた牧江を落胆させない為にも、今までの事を続けなければならない。

 彼女も作らない。俺たちは別れたわけではないのだから。

 ただ、一つだけ問題が生じた。

 時間が過ぎれば、直面すること……進学だ。

 親父の為に一流大学に行く気にはなれなかった。

 牧江が消えた原因であろう心霊現象を解明する方を優先させた。

 一人では限界がある為、仲間が不可欠だ。

 大学内でも学部として取り入れているか、サークルとして研究しているグループを探す必要がある。

 新設は無駄だ。時間がかかる上にノウハウも無い。

 ある程度でも最初から揃っていることが条件だ。

 そんな条件を前にしている大学見学の最中、今岡さんと再会した。

 大学の知名度としては全然な場所で、オカルト研究をしているサークルがあると教えてくれた。

 知人がいるという事もあって、俺は今の大学に進学した。

 待っていろ、牧江。心霊現象を突き止めて君をきっと連れ戻してみせる。

 そんな微かな期待を込めて、今に至るのだ。



 牧江が亡くなったと知って途方に暮れている最中……

 大学の学祭で牧江のお姉さんが目の前にいる。

 俺は牧江の事を伝えるのを躊躇った。

 他愛ない世間話で、間を潰すだけだ。
【○】
 ん〜っと……あれ?

 楠原さんは俺のお客さんなはずなんだけどな……

 なんで江城と良い雰囲気なんだ?

 昔話みたいな事も語ってるし。

 俺、もしかして蚊帳の外?

 ……おい、犬ども。

 足で突ついて慰めるな。

 足だけの犬に慰められるって相当だぞ。
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