二十三、彼の罰 |
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【○】 |
結局もう二日休んでしまった。 バイトも引き続き休むことになった……っていうか、クビになった。 頭の包帯取れたと思ったら今度は左手のケガだもんな。そりゃ店長もぶち切れるわ。 しかも手首の関節から完全固定だしなぁ。メール打ちづらくてストレス溜まるわ。 級友達は揃って「大丈夫か」「何かに巻き込まれたのか」とか詰め寄ってくる。 蓮蔵組の事を話したらみんなどんな顔するかな……いや、やめておこう。 しかし大変な目に遭った。勢いが乗ったとはいえ、ナイフを素手で受け止めるかね。 そんでこの大怪我だ。自業自得もいいところだけど。 さて……と。バイトクビになっちゃったからどうしようかなぁ。 親からの仕送りがあるけども小遣いとか皆無になるぞ。 手を使わなくてもできる仕事ないかなぁ。 時間はかかるけどいずれは動かせるって言われたから辛抱の時期だろう。 ……出費を切り詰めてしばらく勉強とサークルに打ち込むか。 サークル……大谷さんはどうしてるかな。彼女の事を考えるとまた行きづらい。 『春香ちゃんね、篠本を恨んでるんだよ』 今岡先輩の言葉が頭を離れない。 今の大谷さんがどう思っているか……確かめなければならない。 一コマ目の講義を終えて、オカルト研究サークルのドアを前に立つ。二コマ目は休講だ。 思えば、学祭の最終日から来てないんだよな。 前にもこういう事があった。 大谷さんに嫁宣言したあの一件だ。そんな遠くない事件だったのに、どえらく懐かしい感じがする。 彼女と交際が始まって、一ヶ月くらいか。 やっとお互い意識して手を繋いだくらいの初々しいカップルだった。 その矢先に木谷達に暴行された…… でも木谷達は懲らしめた。驚異的に強くなったから、今度こそ守れると大声で言える。 あとは俺たちが心の傷と向かい合えるかどうかだ。 深呼吸を二度ほどして、ドアを開ける。 思い切って踏み込んだ先には、誰もいなかった。 拍子抜けだ……気合入れた自分がバカみたいだ。時間考えれば普通か。 カバンを置いて部室の隅っこにあるOAチェアに腰をかける。 心霊動画を見る、何の意味も成さないあの日常が遠く離れた気がした。 パソコンを付ける気にもならず、背もたれに体重を預け、揺れる。 ドアがガチャガチャ揺さぶられる、誰か来たみたいだ。 「……講義中だから大丈夫」 ドア越しだった為か、声自体は微かだが、それは間違いなく大谷さんのだ。 俺は慌てて机の下に潜る。いきなり再会してどんな顔をすればいいかわからなかったからだ。 あらかじめ江城とかが一緒だったら、何とかなるけどいきなりサシはハードルが高い。 ドアが開く音がして、足音が響く。どうやら一人ではないみたいだ。 「しかし、ここは部室だ……誰か来てしまってはマズイことに……」 声からして、佐々木部長……か? 「じゃぁ鍵、かける?」 「いや、それこそいざという時余計に危ない。余計変に思われる。ここは場所を変えて……んむっ」 え、なになに……一体何が起きてるの? もう一人の声は確実に大谷さんだし…… しばらくの沈黙のあと、ちゅぷり、と音とため息が聞こえた。 「博さんだって、我慢できてない。んっ」 誘惑するような、艶っぽい声色。 「はぁ……触って……んっ、んうぅ……」 何が行われているのかわかりかけている反面、否定したい気持ちも湧き上がってくる。 「ここ、か?」 「んっ、そこ、きもち……いい……」 胸に嫌な痛みと吐き気に近い渦が蠢く。絶対に見てはいけない光景が、そこでは行われている。 「ねぇ、あん……指、入れて」 俺の知っている大谷さんは大人しくて感情を出すのが苦手で、手をつなぐ事すらお互い高いハードルだった。 おはぎとりんごジュースが好きだという一面を知って、買ってあげたら目を輝かせるくらい喜んで、黒魔術が好きだから根暗だという印象を吹き飛ばす笑顔が良かった。 絶対に、俺には見せなかった一面を、ここでさらけ出している。その温度差が、俺には辛い。 クチュクチュと湿っぽい音が響く。同時にエロ動画で聞くような細く甲高い喘ぎ声も耳に入る。 耳を押さえ、俺は静かに泣く。涙が止まらなかった。 『なに、キミ彼氏が二人もいるの?』 木谷が放った言葉が再生される。 今の状況を考えれば、その言葉は嘘ではなかったのだろう。 大谷さんが否定している素振りもなかった気もする。 『彼氏弱くね? 前の方が強かったし、顔もいいじゃん。あ、そうか……こいつキープ君かぁ! なら納得だわ』 本命が実は佐々木部長だったというのなら、納得できなくはない。 顔が俺より良いか……と言われると若干認めたくない部分もあるが、俺より遥かに素晴らしい部分は多い。 嫁だ嫁だと浮かれていたのは俺だけだったってことか…… 本命でもない男と一緒に居て、心の傷を深く負う災難に遭って、助けてもらえなかったなんて……そりゃ恨むよな。 「あっ、すごい……もうだ……うっ、はうんっ!」 何がどうなっているのか、確認しようとも思わない。 多分俺の想像に間違いはないだろう。 辰郎さんの語った「狂者の眼」の事をふと思い出した。 殺人鬼の持つ「眼」であること、そして俺は普通とは違う「眼」を持っているとのこと。 俺は木谷達を本気で殺そうと武器を振るった。 今も、ボールペンさえ取り出せば確実に二人を殺せる自信がある。 ボールペンをカバンからそっと取り出し、右手で強く握りしめる。 ここで悪役になれれば、どれだけ気が楽か……しかしそんな気は起きなかった。 大谷さんは今自分の心の傷と向かい合っている。 その相手は俺ではダメで、本命である佐々木部長が必要なんだ。 裏切られたと思っては……駄目なんだ。 「な、なぁ……やはり今日は場所を移そう。ここでは気になってこれ以上できん……」 「……じゃぁ、もっと激しく、ね」 艶めかしい声が俺の胸に鞭を打つ。 二人はその後すぐに出て行った。何処へ行ったかはわからないが、どうだって良い。 もう、俺には大谷さんの心を救う力はきっと持ち合わせてないし、彼女も俺の力を求めていない。 ……それにしても、フラれるにしてはものすごく酷い形だ。 誰も来ていない午前のオカルト研究室の片隅で、俺は言いようもない悲しみが目から溢れ出た。 |
【☆】 | |
篠本君がバイトに来なくなった。 大学祭の直後に大怪我をして、バイトに復帰するかと思ったら、今度は手に大怪我をしてしまったとか。 店長は彼をクビにして、当の篠本君はその後行方知れず。 連続して起こる怪我がどんなものだったのかも教えてくれないし、少し心配。 連絡を取りたいと思っていても実は彼の連絡先を知らなかったりする。 幽霊と遊ぶ、ってちょっと普通じゃないけど楽しそうにサークル活動をしている姿を見たから、その分余計に。 「里美ちゃん、今日もありがとうね」 店主さんが紅茶のお代わりを注いでくれる。 この思い出深い店を畳むと聞いてから、私はほぼ毎日通った。 「あと、もう……」 「二週間、くらいかな」 店が無くなったら、店主さんはどうするのだろう。怖くて聞けなかった。 「せめて、畳む前に牧江ちゃんに会いたかったよ。ロッキーの世話もたくさんしてもらったしね」 店の奥から看板犬のロッキーがやってきた。 「ロッキー! いたんだ! おいでおいで」 ふさふさした毛並みのコリーは嬉しそうに尻尾を揺らして私に寄ってくる。 毎月一日に「わんっデー」としてロッキーも店にやってきてお客様をもてなしている。 衛生面を配慮して月一のイベントとして行っていた。 それからも犬カフェという認識を持たれて繁盛していたような気もしたけど、現実はそう甘くはなかったみたい。 「わんっデーじゃないけど、今日から最後の二週間くらいはね……」 ロッキーにとっても馴染み深いこの店に居させてあげよう、という事みたい。 きっとお店が無くなる事はわからないだろうけど、最後の瞬間まで雰囲気を味わって欲しいという親心なんだと思う。 店主さんが隣の席に腰を下ろす。 がらんどうの店内を見回して、大きなため息。 「十年、くらいかな……自分の店を持ったのは。 始めて少ししたくらいに君達二人がやってきた。閉店までずっと付き合ってくれたのは君だけだ」 牧江も一緒だったら、きっと江城君も常連さんだったと思う。 「本当、里美ちゃんには感謝してるよ。ずっとずっと、この店を好きでいてくれた……それだけでも店を開いた価値はあるよ」 このお店が呼んだ奇跡なら、もう一つある。 「それだけじゃ……ないです」 それは絶対に忘れてはいけない幸せの始まり。 「牧江が恋に成功したのも、このお店とロッキーのおかげなんです。居なくなってしまうまで、あの娘は幸せいっぱいでした」 そして、想い人は今もその気持ちを大事にしている。それだけでも、大きな奇跡だ。 店主さんは俯いてロッキーを呼び寄せ、抱きしめる。 「そうか……僕たちは役に立ったんだな……」 感極まったのか、小さく震えてロッキーに顔を埋める。 ロッキーも店主さんの異変に気づいたのか、慰めるように舌を出す。 本当に、このお店と出逢えて良かった。 あとは、牧江の行方さえわかれば…… バッグの中に入れた携帯電話が短い音楽を奏でる。 着信を確認してみる。なんと江城君だ。
文字を見た途端、心臓が飛び出しそうになった。 見つ……かったの……? 相手はあの江城君だ。冗談でこんなメールは送らないはず。 今までで、一番信用のできる手がかりだ。 たとえその知らせが嬉しいものでなくても、受け入れる覚悟はできている。 それは江城君も同じなはずだから。 |
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