二十四、四年ぶりの「おかえり」

【○】
 日曜日の朝。江城に頼まれる形で、俺は縦浜の中央改札口で待ち合わせをしている。

 腕に包帯を巻いて三角巾で提げているので自転車は使えない。久しぶりにバスを利用した。

 やっぱ包帯ってのは目に付くんだろうね。過ぎる人の殆どが俺の左手に目線を送る。

 少しばかり麻痺が残ったりしている。

 まぁナイフでズブリと行ったのだから神経とかやられてるんだろうけど、痺れているというのは想像以上にストレスだ。

 薬指と小指だけじゃ何もできない。

 故に待たされてるというこの現状がイライラする。

 しかも待ち合わせの相手が……ってやっと来た。

「おぉ、篠本! 悪い悪い、寝坊しちまったよ」

 江城だけという……可愛い女の子だったら許……うっ、大谷さん……

 思い出して気落ちしそうなところを踏ん張って、伏せた顔を上げる。

「遅ぇよ。一応怪我人なんだから丁重に扱ってくれ」

 今じゃ心も事故患者だぜ! ガラスのハートは包帯巻きさ。

 それくらいのジョーク言えたらまだまだ大丈夫だな。口には出せないけど。

「……怪我は大丈夫か?」

「半分動かない上に感覚もない。とても嫌な気分だ」

 医者からは手の位置を固定する為にバンドを貰ったが、煩わしいという理由で外している。

 素直に指示に従わないのは良くないだろうけど、これ以上ストレスを抱えたくない。

 三角巾だって本当は外したい。

「……で、どこに連れていくつもりなんだ? 俺は要件も聞かずにここに来たんだが」

 どうせ暇である事には変わらない。バイトもクビになったし、ゲームも片手じゃ出来ない。

 大谷さんの事だってもう……あ、やばい、泣けてくる。

「すまないな。何も言わずに来てくれた事は感謝する。要件は他でもない、牧江の事についてだ」

 マキエ……その名前は俺にとっても非常に重要なものだ。言われて無視できる事じゃない。

「お前を、牧江の家族のところまで連れて行く。厳密には、牧江を、だな……」

 なるほど、マキエを家族に会わせようということか。

 しかしそれ、大丈夫なのか? 向こうの家族が信じるかどうかは別だし……  

 いや、とりあえず行くか。マキエだって家族と会えるなら会いたいだろう。

 それが周りにどう影響を与えるのかわかったもんじゃないが、マキエを助ける事に繋がるなら、助力を惜しんではいけない気がする。

 元々、マキエはそれを望んで俺に助けを求めたのだから。

「そこまでどうやって?」

「バスを使う。自転車じゃないだろ?」

 あぁ、江城なりに俺の行動を読んでくれてるんだな……江城が自転車使ってるの見たことないけど。

 滅多に利用しないバスに乗り、マキエの実家を目指し見知らぬ地へと走る。

 ……と思ったら案外見覚えがあった。
【△】
 ついにこの時がやってきた。

 俺たちに掛けられた呪いから開放される為に、牧江の実家を訪ねる。

 お姉さんには既に連絡済みで、恐らくご両親にも話は行き届いてるだろう。

 遺体という物的証拠がないけど、霊的な証拠でも十分だ。

 篠本の携帯電話に憑いてる幽霊は確かに牧江の記憶を引き継いでいるのだ。

 あとはこの現実に向き合うだけだ。

 玄関を前に、牧江のお姉さんは待ち構えていた。

 俺が知っている時より、遥かに大人びていた。

「江城君……あれ、篠本君!?」

「あ、楠原さん! どうも、お久しぶりっす……」

 篠本とお姉さんが面識ある事は知っていたから特に驚きはなかった。

 というより、学祭の時は篠本が連れてきたんだったか。

「怪我したって聞いたけど……」

「ハハハ、まぁ色々と……」

 三角巾から取り出し、包帯で包まれた左手を振って見せびらかす。

 血が滲んでいるのか、手のひら側に赤い斑点が見えた。実に痛々しい。

「江城君、もしかして牧江の行方を知ってるのって……」

「篠本の事だ」

 お姉さんが真剣な面持ちでこちらに向く。信じられないのか、眉間が寄っている。

 続いて、篠本が俺の肩を叩く。

「あれ、まさかマキエの実家って……」

「楠原牧江って名前だ。この人は他でもない牧江のお姉さんだよ」

 お互いを指差し、声を上げる。

 人間とは不思議な繋がりがある。篠本からしたら俺と牧江の関係にも驚きだったろう。

 篠本が声を大にして幽霊の事を話す無神経な性格でなくて助かった。

 俺自身も牧江の事を受け入れる時間は作れたし、ここまで話を進めることもできた。

 もっと早い段階で周りに話されてたら混乱しまくってどうなったかわかったもんじゃない。

 時間ってのは、本当に重要だと実感したものだ。

「……さて、そろそろいいか?」

「うん、お父さんもお母さんも待ってる」

 あとは楠原家の問題だ。牧江の事を信じ、現実を受け入れるか。

 一家に掛けられた、いつまでも娘を待ち続けるという呪いを解く為に、俺は踏み出したんだ。



 居間に上がると、懐かしい内装はそのままだった。

 ソファにご両親が腰をかけ、父親さんは腕を組んで俺に凄んでいるのがわかる。

 病院での一件以来、牧江の親父さんとは顔を合わせてはいない。

 空気が重いが、俺も怯むつもりは一切ない。

「篠本、これを繋いでくれ」

 カバンからハンズフリーのケーブルとスピーカーを取り出す。俺のと互換性は十分だろう。

「え、いきなりそれで?」

 篠本は戸惑いながらも、どういうつもりか理解してくれたみたいだ。

「牧江、見つかったのか?」

 攻撃的な棘を乗せて俺に言葉を放つ。

「間違いない。あれは牧江だ」

 俺はキッパリと返す。恋人である俺が確信するんだ、間違うはずがない。

「江城、できたよ」

 丁寧にも充電器もセットしてくれた。これで電池切れの心配はない。

 ……片手だけで組み立てられるって、篠本は結構器用なんだな。

「結論を先に言う。牧江はもう……亡くなっている」

 お姉さんとお母さんが口を手で塞いで青ざめる。

 親父さんに至っては立ち上がり、俺に掴みかかろうとしてきた。

 俺は親父さんの両腕を受け止め、立場を逆転させる。が、怯む様子は一切ない。

「貴様、出てきて早々『牧江は死んだ』だと? 牧江が帰ってくる事を楽しみにしていた俺たちの気持ちを何だと思っている!」

「それは俺だって同じだ! 牧江の死を知って何も思わないと思ったか? 以前と変わらず底が浅いな!」

 俺は腕を捻り、親父さんの勢いを殺す。悲鳴を上げてソファに倒れる。

 普通に考えて俺が負けるはずがないのだ。今ばかりは強気でいさせてもらおう。

「牧江は確かに亡くなった。しかし連れて来ている。篠本の携帯に取り憑いているんだ」

 疑いの視線が突き刺さる。信じられない事を言われ続けて呆れているのだろう。

「いきなりやって来てデタラメを吹き込んで楽しいか? そんな話信じられるか。俺たちはそんな話を聞きたいんじゃない。帰れ……さっさと帰れ!」

 くそったれめ、聞く耳を一切持たない。

 このままじゃ牧江を家族に会わせられない……決意を固めてここまで来たのに……

「……小二の頃、紅葉狩りをした。肩車して恥ずかしかったけど直接摘んだ」

 みんなの視線が篠本に集中する。

「小三の運動会、父兄参加の徒競走のカーブでお父さんが転けた」

 思い出すように、篠本が語り始めた。

「小四の頃にお姉さんと一緒に秘密の特訓を始めた。紅茶がすごく苦かった」

 淡々と、それでもしっかりと。

「お母さんの作ったハンバーグが、どの店のよりも好きだった」

「篠本君……」

 みんなの疑いが、ほどけていく。

「写真を撮る時の合言葉『はい、モッツァレラ』……」

「君が、なぜそれを……」

 親父さんは先ほどまでの態度を一変。ようやく話を聞く気になったようだ。

 家族しか知らないことなのだろう。俺ですら聞いたことなかった。

 紅茶の特訓、そんなことしてたのか……

「マキエが、いつも話してました。大好きな家族との思い出だって。俺も感化されて実家に電話しました」

「話してたって……」

 携帯を手に取り、みんなの前に掲げる。

「メールっす。暇なときとかずっとメールで話してました。家族の元に帰りたいって何度か言ってました。どうしてかバイト先の先輩がお姉さんだってことは教えてはくれなかったですけど」

 篠本がお姉さんに携帯を手渡す。家族は食い入るように画面に集中する。

「会いたかった家族にやっと会えたんです。俺もこのメールのマキエがこの家の娘さんだっていう事は疑ってません。不思議かもしれないですけど、俺は色々な体験で幽霊として取り憑いている事も疑ってないっす」

 学祭の資料として撮りに行った心霊ツアーでの心霊体験、犬の前足たちとの出会い。

 そして幽霊に立ち向かい、勝利した事。

 牧江の手引きがあったからこそ、叶った出来事だ。

「お嬢さんを亡くされた、という事を後押しするのは心苦しいですけど、今ここにいるマキエの気持ちを踏みにじらないで欲しいっす」

 牧江との交信が長かったんだろう。俺よりも牧江に対する考えが人間的だ。

「望んだ形で戻ってこなかったから信じないって、そんなの身勝手すぎやしないですかね。幽霊になってでも会いたい一心で戻ってきたマキエが、あまりにも可哀想だ……」

 親父さんの熱が完全に冷め、疑いの視線を緩める。

「牧江……本当に牧江なの?」

 お姉さんの涙声。

「江城の事も知ってましたし、家族の事も覚えてました。俺はそれだけでも十分だと思います。あとはみんな次第」

 再びハンズフリー装置をセットして携帯を操作する。

 程なくして、携帯が震えた。

「着信?」

「マキエから……取って下さい」

「話せるのか!?」

 親父さんの驚きに、篠本は首で答える。

 戸惑う親父さんに代わって、篠本の手で通話ボタンが押され、スピーカーにノイズが走る。

 テレビのチャンネルを間違えたような、砂嵐の音。

「マキエ、みんなだよ。江城と、家族みんなだ」

 ノイズはしばらく鳴り続け、返答を待つ。

「やっと、帰ってきたんだ。みんなマキエをずっと待ってた」

 返事はない。

「おい、本当に通話できるのか……?」

 親父さんの抱く疑惑に、シッと指で遮る。

「久しぶりで恥ずかしがってるんですよ……そうだ、みんなからマキエに声をかけてあげてください。そうすれば返事するかも」

 戸惑い、お互いを見合わせる家族たち。

 お姉さんが一つ咳払いをして、声を発した。

「牧江? お姉ちゃん、だよ……そこに、いるの?」

 砂嵐は途切れることなく、そこに他の声も聞こえてくることはない。

 俺も段々と篠本を疑い始めてきた。

 この奇妙な背景音は尋常じゃないが、何も聞こえないんじゃ牧江がそこにいることを証明できない。

『オネ、チャ……』

 スピーカーから声が聞こえてきた。それも恨みを抱えた恐ろしげな声が。

『マキエ……ココ……』

 そして、砂嵐に負けないハッキリとした声量で、声は自身を示した。

 俺たち全員、驚きで声が出ない。再び顔を見合わせる。

 本当に幽霊と会話ができた……のだろうか。

 携帯の画面を確認しても、相手先の名前は表示されていない。

 ただ、通話時間の秒数だけが増えていく。

「牧江……どこに、行ってたの? お姉ちゃん、ずっと探してたよ」

 お姉さんの声に微かな震えが混じる。

 俺も同じだった。メールでのやり取りしかしなかったが、手が震えてて文字が打ちづらかった。

 怖かったのではない。やっと牧江と会えたからだ。

『ツカ……マッタ……サラ、ワレタ……』

 そして、あの日の真実が語られる。

「攫われた? 夢遊病みたくどこかへ消えたわけではないのか?」

 四年前の結論。それが本人の口から否定される。

『ジッケン……クルシイ、ジッケン……」

 篠本もそこまで聞いていなかったのだろうか、驚いた様子で牧江の声を聞いている。

「おい、嘘だろ……?」

 微かに、そう呟くのを逃さなかった。

 家族の人たちも、これ以上聞こうとは思わなかったようだ。

 牧江に何が起きたのか、もう十分なはずだ。



 話は思い出から始まり、近況報告などお互いの時間を埋めるように全員で語り合った。

 その頃には電話先の幽霊を牧江と信じない者は、もういなかった。

 感極まったお姉さんから、涙の歓迎。

「おかえり……牧江……」

 少し間を置いて、幽霊は応えた。

『タダ、イマ……オネ、チャン』
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