二十五、マキエの居場所

【☆】
　牧江の行方を知り、私たちの四年間の苦悩は最悪の形を以って終わった。

　ただ一つ、救われたのは篠本君の携帯に牧江が取り憑いた事による奇妙な再会。

　これで踏ん切りが付いたと言える。

　あとは牧江の死を受け入れ、生きていくこと。

　そこに牧江がいるという事実を認識した楠原家が、篠本君に懇願しないはずがなかった。

「その、篠本君……だったか。よければその携帯を私たちに譲ってはくれないか？」

　これで牧江は私たちの元へ帰ってくる。メールや通話で牧江という存在を近くに感じられる。

　それを願ってのことだ。

「当然機種変更などのお代は我々が持とう。支払いが分割で残っているならもちろん払う。何だったら新機種の携帯も本体代一括で君に渡す」

　機種変更に関してこれ以上ない程の優遇っぷりだと思う。

　それだけこの携帯が私たちにとって大きな価値を秘めている。

　篠本君は首を横に振った。

「すいません、譲れないっす」

　断られる可能性があるとは思った。両親は意外だったようで驚いている。

「俺にとっても、マキエというのは掛け替えのない存在です。辛い事があったとき、ずっと俺を励ましてくれてたんです。辛くて悩んだときもフラれたときも」

　幽霊という身になっても、牧江は誰かの為に大きな役割を果たしていた。

「それに、成仏させる方法を知りました。江城や家族に会わせることじゃなかったんだ……」

「成仏、だと……？」

　そのキーワードで、お父さんの眉間にシワが寄る。

　成仏は、牧江をこの世から消す行為だ。家族が聞いて許すはずがない。

「牧江は私たちの所に居た方が幸せだ。成仏なんてとんでもない事だ！」

　お父さんの威勢にも、篠本君に怯む様子はない。

「娘さんを永遠に携帯に縛りつけておく気ですか？　幽霊は幽霊のままが一番幸せとでも？　それは生きている者のエゴじゃないかと思います」

　篠本君の背中を押すように、江城君も頷く。

「俺も同じ意見です。もし成仏が存在し転生もあるなら、牧江には新しい命として生まれ変わってほしい」

　彼らの言うとおりだ。幽霊の気持ちはわからないけど、解決できないわだかまりが残ったまま生きていくのは嫌だ。

　成仏できない、というのはそういうことなんだと思う。

　そして、ずっと死んだままでいるという事が、生きている人には理解できない。

　想像以上の苦しみがあるのかもしれない。

　その可能性を無視して「家族と一緒が幸せ」とは、やはりエゴだ。

「お前たちは家族ではないから……」

　私は真っ直ぐ手を挙げる。

　父の目を見て、射抜く様に。これも真っ直ぐに。

「もう充分よ。牧江の行方がわかった……それがわかっただけでもいいじゃない。牧江をここに縛り付けていたら……」

　さっきから涙が止まらない。また大粒が形を崩して頬を伝って落ちる。

「……それこそ前に進めない」

　位牌と仏壇を用意して、供養して、新しい命の未来を願う……それが一番正しい、はず。

　亡くなっているというのは、そういうことなはずだから。

「今、牧江は篠本君のそばで役に立っているんだし、もう何も心配ないよ」

　両親から反対の声は聞こえなかった。



　二人がうちを出る頃にはお昼を過ぎていた。

「牧江ともう少しだけいさせて欲しい」という父の願いを聞き入れて、昼食をご馳走した。

「すんません、なんかお昼まで……」

「いいの。それより牧江を連れてきてくれてありがとう。これでやっと、四年間続いた苦しみから解放される」

　もう、牧江の行方を探さなくてもいいし、変な情報に踊らされることもない。

　会いたい、と思ってはダメだ。それでは牧江を家族で縛り付けている事に変わりはないし、私自身が前に進めない。

　本来だったら話す事もできない、これは奇跡なのだから。

「じゃぁ篠本。俺は先に行く」

「え？　先にって、一緒に帰らないのか？」

　江城君は私に目で合図を送る。上の方を、示して……

　えっ、あそこに……？

「俺は調べる事ができた……篠本、もう一度確認するが、牧江が取り憑いた場所は……」

「あぁ、俺たちが一番初めに心霊ツアーしたあの廃病院だ」

　取り憑かれた場所……それはすなわち牧江の命が失われた最有力の場所。

　そこで牧江は苦しい思いをして命を落とした。

　牧江を死に追いやった犯人を探る一番の手がかり。

「気をつけろよ。あとあまり深追いはするなよ」

「慎重にはいくさ。あの時抱いた疑問がようやく解けたんだ。あとは尻尾を掴む……とりあえずそれくらいにしておく」

　牧江のことについて一番躍起になるのはいつも江城君だった。

　今回の事もあまり無茶しなければいいけど。

　手を振って、江城君はそこで別れた。

　取り残される形で、篠本君がそこにいる。

「えっと、じゃぁ俺も……」

「篠本君」

　彼の声に割り込む。私は、彼に伝えなければならないことがある。

「ちょっとだけ付き合ってもらっても、いいかな……」

「えっ、つ、つきあ……は、はいっ！」

　突然顔を赤くして硬直する彼。

　ふふっ、やっぱりちょっと扱いづらいかなぁ……



　家をまたいで続く坂を上り、町を一望できる公園に入る。

「うわぁーっ！　ここ、すごいっすねぇ！」

　牧江が好きだったこの展望台に、篠本君の大声が響く。

「篠本君はこういうとこ、初めて？」

「滅多ないっすね。修学旅行で上ったくらいですよ……いやぁ、まさかこんな所に見渡せる場所があるとは思いませんでしたよ」

　どうやらこの景色を、彼も気に入ってくれたみたいだ。

　おそらく久しぶりになるこの場所を、牧江はどう感じてくれているのかな。

　変わってしまったこの眺めを見て、悲しんだりしてないかな。

「……ここ、マキエの思い出、ですか？」

　やっぱ察しがいいな。

　そうでなければ、わざわざ連れて行く機会もないし。

「ここ、なんて言うんです？　あぁ、何て呼んでたかでいいっす」

「高台公園って言ってた」

　彼は携帯を取り出し、いじり始める。

　……牧江にメールで教えてあげるのかな。

「……前と、変わっちゃったんですか？」

「そうね、この四年でビルが二つほど建った。あそこに見える川が牧江のお気に入りだったんだけどね……」

　携帯を片手に、フェンスの奥に広がる壮大な景色を見つめている。携帯を掲げ、ボタンを押す。

　そして、彼は大きな声で叫んだ。

「マキエーー！　見えるかーー！」

　いきなり何だろう、後ろにいる私も突然の叫び声にびっくりした。

「今、お前の好きな高台公園にいる！　すんげぇ綺麗だ！」

　山彦に向かって叫ぶように、包帯巻きの左手を口に添えて誰に向かうでもなく……

「前とは結構変わっちゃったってな！　川がビルで途切れちゃってさ……残念だ」

　あれは……動画？

　メールでも写真でもなく、動画を撮って牧江に伝えようとしているの？

「すんげぇ良いところだな。マキエは良いところで育ったんだな……羨ましいよ！」

　また、頬に涙が走る。

　今日は何度涙を流しただろう……それでもまだ、流し足りない。

　彼はどうしてそこまでしてくれるのだろう……

　私たちとは全く関係のない、部外者であるはずの篠本君が牧江の為に考え、行動を起こしてくれている……

　ただただ、感謝が溢れ出る。

　私は嗚咽をこらえきれず、ついに声を上げる。ただ、彼には聞こえないように気を付けた。

「また、連れてってやるよ……」

　撮影を終えたのか、操作音が聞こえる。

「く、楠原さん！？　大丈夫っすか！？」

　きっと私の泣き顔を見たのだろう。もう何度彼に涙を見せたか覚えてない。

「うん、大丈夫」

　涙を見せながらも、笑顔で答えた私を見てホッとしたようだ。

　彼に近づき、そっと右手を握る。

「おっ、ちょっ……」

　彼の感情なんてお構いなしにその手を自分の頬に当てる。

「ありがとう。牧江もきっと喜んでくれるわ」

　彼の手の中で携帯が震える。

「……お姉さんの言うとおりみたいっす」


from
件名
なつか　しい

　　　また　みれた


　亡くなっても、好きだったこの景色を見られてどんな気分だろう。

　変わってしまったところはあっても、同じ公園からの景色。戻ってきた実感に浸っているのかな。

from
件名
う　れし　い

　 あ　 りが　　と



　牧江が取り憑いた先が篠本君でよかった。

　何の関係もない人に取り憑いた意図はわからないけど、いい方向に繋がった。

　そして何より、幽霊という姿の牧江を大切にしてくれている。

　生きている事だけを望んだ私たちとは違う。

　そこが、大きな救いに繋がった。

「ねぇ、篠本君」

「はっ、はいっ！」

「時間、まだあったら……もうちょっといいかな？」

　牧江を連れて行きたい場所はたくさんある。

　あとは彼次第だ。

「……えぇ、いいっすよ」

　今度は誤解せずに頷いてくれた。
【○】
　思いもよらない、デートとなった。

　そりゃ目当てがマキエと一緒に行動！　ってのはわかってたましが、美人さんと一緒に遊んでいるというだけでも有頂天ですよ。

　大谷さんにフラれた傷心も、少し回復してきている。

　このまま楠原さんが俺の彼女になってくんないかなぁ……とか甘い事を考えてたりしている。

　無理なのはわかりきっているさ。不釣り合いなのは確かだし、俺は障害を懸念される怪我をしている。

　もし左手が動かせなくなったら楠原さんどころか、誰との未来にも希望が持てなくなる。

　障害持ちの彼氏なんて、誰だって嫌だろうし。

　これから先は全くわからんけど、今はデート気分を楽しもう。

　とりあえず傷が治ったらリハビリだけでもしっかりやるか。

　そんでもって、今はマキエとお姉さんの思い出巡りをしているところ。

　所々動画を撮影して、それら全てをマキエに送信する。

　都度、返ってきたコメントを楠原さんに見せる。

　それの繰り返しだ。

from
件名
しのもと　おねちゃん

　　　　と　　　でと　 なの


　でと……あぁ、デートか。

　おうおうなんだ、マキエ……気にしているのか？

　指摘され、内心浮かれながら
to
件名　Re:
そうかもね


　と意味深な返事だけしておいた。

　今回の巡りで、印象深かったのは古い喫茶店だ。

　店主さんもマキエの現実を聞いて、激しく落ち込んでいた。

　知り合いの死を告げる事は、非常に酷な事なんだと、改めて思い知った。
【△】
　牧江を殺害した犯人を追う為に行動開始を誓ったが、今どうすればいいかは検討が付かない。

　当然、篠本から得た情報である「小太原の廃病院」にカギがあるのは間違いないだろう。

　いきなり潜入は得策ではない。

　牧江が取り憑いたという篠本の実績がある以上、心霊的に無防備で飛び込むのは非常に危険だ。

　さらに犯人が潜んでいる可能性も忘れてはならない。

　単独では危険だが、篠本をこれ以上巻き込むわけにもいかない。

　犯人の素性も予想できない。実験とか言ってるくらいだから常にそこにいるかもしれない。

　警察への連絡も早すぎる。何も確信を得ないままでは取り合ってもくれないだろう。

　とりあえず潜入だけは行うべきだ。情報が無いと考察もできない。

　考える事が多いな……それだけ慎重に動かなければならない。

「……おーい、江城君！」

　遠くから俺を呼ぶ声が聞こえる。

「縦浜に来てるなんて偶然じゃない」

　後ろから飛び込んで俺をひっ捕まえたのは定本。

「よお、買い物か？」

「……ん〜ん、さっき春っちと別れたばっか。最近ちょっと落ち着いてきたみたいでさ。おやつまでコースが昼までになっちゃった」

　そうか、大谷ちゃん、落ち着いてきたか……

　このままあの時の傷が癒えてくれればそれに越した事はない。

「お姉さまとしてはちょっとさみしいかなー。その分最後は激しかったけど」

　定本も今岡さんに感化されたのか、発言が過激になってきている。

　事情知ってる奴が聞いたらその方向で想像するから堪ったものではない。

「で、置いてけぼりを喰らったお姉さまは寂しさ大爆発なので運命的にも出会った江城君に癒しを求めるの」

　大谷ちゃんとのスキンシップに慣れ過ぎたのか、俺に対しても過剰に擦り寄ってくる。

「俺は大谷ちゃんの代わりか」

「あら、失礼ね。春っちは春っち、江城君は全く別よ」

　扱いは同じだろうに……

「……最近ね、思うんだ。江城君、大きな事を抱えちゃって余裕が無い感じがするの」

　牧江の真相を探ろうと躍起になった時の事だろう。

　今は大まかな当たりを見つけたからそこに向かう為に方法を考えているところだ。

　無関係である定本からそう思われるほど、俺自身周りが見えてなかったんだな。

「危険なこと、じゃない？」

　危険もいいところだ。何しろ殺人犯を追いかけようとしているのだ。安全なわけがない。

「そう、見えるか？」

「なんかね、尋常じゃない感じはするかな。必死になってる姿とか、特売品をチェックする雰囲気じゃないもの」

　定本の言い回しに思わず吹き出してしまう。

　周りに心配をかけるような姿を晒しているようじゃ、結果はうまくいかないかもな。

　指針は決まったんだ。少し深呼吸するか。

「ちょっとさ、息抜き、しない？」

「息抜き？」

「デート、しようよ」

　そう言って俺の手を引っ張る定本。

「お、おい、俺は行くって……」

「カラオケでも行って、発散発散♪」

　強引に引かれながらも、安心感が心の底で温かく実った。

　妹と言い争いをするとき、必ず出るフレーズがある。

『まだ楠原先輩の事待ってるの？』

『兄貴だって新しい恋を見つけても良い頃だよ』

　牧江を裏切らない為に、あいつの帰りを待つ為に俺は恋をするどころか、女性とプライベートな交遊をするつもりはなかった。

　定本と恋愛に落ちるかは別として、交遊くらいはもういいかな……

　牧江、約束する。仇を討つまでは君一筋でいよう。

　ただ、今はちょっと休んでもいいかな……
【■■】
　……彼が江城優悟くんか。

　なるほど、良いオーラを感じる。そして眼の方は……

　覚醒に期待を持てそうな強い眼をしている。

　つまりは彼こそ戦士の眼を持っている……私の未練と向き合う最後の「敵」としては申し分なかろう。

　そして隣にいる少女こそ、新しい……くくっ、楠原牧江くんは可哀想だな……恋人なわけだ。

　さて、最後に相応しく壮大な計画でも練ろう。

　私自身が闇へ昇化する為に最大の関門である「戦士の眼」を打ち倒すのだ。

　地獄を、楽しみにしていたまえ。江城優悟くん……
【○】
　思いがけない夢のようなデートは夕方まで続いた。

　別れる事になったのは楠原さんのバイトの時間が迫って来たためだ。

　……俺の元バイト先だけど。

「すんません、こんな時間まで。しかもホームまで来てもらっちゃって……」

「気にしないで。私も楽しかったし、牧江と良い思い出ができたから」

　まぁ詰まるところそこよね。浮かれるな、俺。

「じゃぁ、バイトのみんなに……」

「うん、伝えておく。復帰は無理でも、また来てくれると嬉しいかな」

　それは俺の来客を待っているという意味なのか、マキエの事なのか……いやいや、邪推も止そう。俺がへこむ。

　ホーム内放送を告げるチャイムが鳴る。

『間もなく、六番線に、普通、熱実行きが、参ります……』

　来たか。こういう時の電車って何故か早く来るんだよな。

　実に恨めしい。

『この列車の、後ろ寄り五両は、棘塚、止りです……』

「じゃぁ、そろそろ……」

「うん、今日はありがとう。私たちの呪いが、やっと解けた……これで前を向いて歩ける……」

　これから先に必要なのは、本当の笑顔。

　俺が出来ることは分からないけど、力にはなりたいと思う。

　涙ぐんでいる彼女もまた綺麗だな……なんて不謹慎なことを考えてたりもするけど。

　楠原さんはさっと涙を拭いて綺麗な笑顔を作る。

　……よし、俺、頑張ろう。

　このままいい雰囲気に持っていけるように……

『あなた達の、関係は、友達、止りです』

「うっせぇー！」

　いつものアナウンスの声でホーム内に流れる。つい突っ込んでしまった。

　放送ジャックしてまで言いたいか、マキエめ！
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