二十八、巣窟の潜入

【△】
 色々と考えた末の結論。小太原の病院に再びやってきた。

 いきなりの潜入は危険だが、これしか先に進む方法が思い当たらない為だ。

 篠本曰く、ここで牧江に取り憑かれた。

 つまり、牧江はここで命を奪われた……と思って間違いはない。

 牧江は「実験」と言っていた。この廃病院で……

 俺の抱いた違和感の八割は間違ってはいなかった。

 廃病院なのに綺麗に整っていたこと。

 その答えが「実験」の施設として使われていたという牧江の証言から。

 何の実験かはわからない。ただその結果牧江の命を奪った……それに間違いはない。

 研究員がどれくらいいるかはわからないが、気をつけて潜入しなければならない。

 まずは中に何があるのか把握し、実験の内容を掴んでそれが非人道的なものなら通報する。

 見つかったとしても俺の腕なら負ける事はない。何なら全てを潰してやる勢いだ。

 ライトとカメラを用意し、廃病院の中へと入る。前来たときは夏だった。

 今はもう冬だが、空気の冷え具合は並ではない。

 それが幽霊たちのいる空間だから気温が下がっているのか定かではないが、尋常でない雰囲気に違いはない。

 心霊スポットとして潜った場所へカメラを手に再び入る。今度は別の目的を持って。



 奥の方に入るたびに、誰もいないはずの空間に何かが動く錯覚に囚われる。

 篠本が取り憑かれた実績や廃校舎での経験がある為か、幽霊という不確かなものに対して敏感になっているようだ。

 見られている感じが強い。

 それでも臆する事なく探索を進める。絶対にあるはずだ。

 地下の階層をそろりそろりと進んでいると、遠くから足音が聞こえた。

 慌ててライトの電源を切り、どうにか気配を消す。

 じゃりじゃりと音を鳴らして近づいてくる。

 本当に人がいた……まさか研究員か?

 足音が近づくたびに心臓が強く脈打つ。細心の注意を払って覗いて見る。

 通常より遥かに体格の良い大男の影が見えた。

 大男は少し離れた場所で立ち止まり、動かない。

 荒い呼吸で喉を震わせて仁王立ちしている……ようだ。

 今は決して動いてはいけない。動けば気配を察知され、狙われる。

 しばらくしてまたじゃりじゃりと音が響く。

 今度は帰っていくようだ。

 瓦礫からの砂利であれだけ大きく響くのだ。より慎重になって前に進むべきだ。

 しかし驚いた。本当にこの廃病院に人がいた。

 前来たときはたまたまだったのか、運が良かったのか。

 ともあれ、これで一つ確信が出来た。この廃病院で何かが行われている。

 そして俺はその証拠を掴むまで断念してはだめだ。

 足音が聞こえなくなって、俺は再び奥へと潜る。

 今度は足音に気をつけなければ……





 驚いたことに電気が通っていた。

 実験が行われているのだから自然ではあるのだが、瓦礫まみれの廃病院からはイメージがしづらい。

 本当に暗闇だったのは入り口部分だけで地下二階に入ったらうっすらとだが電光がついていた。

 これでハンディライトを使わずに済むが、逆に暗闇に紛れることもできなくなった。

 さて、ここからが探索の本番だ。

 先ほどの大男の気配が嘘のように、しんと静まり返っている。

 まさかアレ、幽霊だったりするのか……?

 牧江の事を考えるとあながち間違いではないのかもな。





 通路内の扉を探索して写真を撮る。

 どれも変わらない病室の一つで、ここで実験が行われているという雰囲気は一切ない。

 それでも、どの部屋も清掃されているかのように綺麗だ。

 奥へ奥へと進み、医療機器の検査室らしき扉をくぐる。

 整ったオフィスのように、大きな机と資料棚が並んでいる。

 やっと当たりを引いた気がした。

 急いで棚から書類を引っ張り出す。

『究極兵士の実験録』……これか?

 一体何の研究なのかはわからないが……えぇい盗んでしまえ!

 周りに誰も居ないことを確認し、ルームの写真を撮りまくる。

 書類を見つけてはリュックの中にねじ込んだ。

 中身は後でじっくり調べよう。

 この中に牧江の記録も有ったりするのだろうか……探したい気持ちに駆られたがとりあえず目的は達成された。

 あとは中を解析して警察に放り込めば犯人は捕まる。

 これで、牧江を救えるんだ……!

 さて、ここからが一番の問題だ。

 ここから抜け出さなければならない。

 今まで誰とも遭遇してないのが逆に不自然なくらいだ。

 しかもここはガチで幽霊のいる場所。前みたく粉を蒔いてたり大谷ちゃんの黒魔術の力もない。

 外へ出るには少しばかり苦労すると思っておいた方が良い。

 まずは外の確認だ。誰もいない事を確認して、ドアを開ける。

 音を立てずに気を付けて来た道を戻る。

 仄かに明るい通路が途切れるところで、異変に気づく。

 先程聞こえたあの荒い呼吸音が響いているのだ。

 俺は暗闇の中を凝縮する。するとうっすらと、大男の姿が見えた。

 ……見つかった。

 しかもヤバイ、あの三角頭だ。

 忘れるものか、牧江が行方不明になったあの日、突然襲いかかってきた。

 コイツに捕まれば大変な事になる。

「ぶぉぉおおお!」

 怒声を上げて掴みかかろうとする。

 迎撃せずに大仰に回避した。まともに戦って勝てる相手ではないことくらいはわかる。

 あれから四年は経ったが、どこまで伸びたかは測ってはいない。

 あの時の敗北をバネにしたつもりだが今ここで対処できるかは別だ。

 いや、この空間に居ること自体が危険だ。仲間とかが戻ってきたら非常にマズイ。

 戦うことより逃げる事を優先させなければ……

 掴み損ねて転倒している隙に脇を抜けようとしたら、足を掴まれた。

 しまった……俺はすかさず奴の顔に蹴りを入れる。

 それにも動じず、大男は立ち上がり俺の後ろ首を掴み俺を持ち上げる。

「うぐぁぁあ!」

 相当な握力だ。このままでは折られる!

 俺はポケットに手を入れて何かないかとまさぐる。

 一番目立つ大きさのものを取り出す。

「コイツでも……くらえ!」

 奴の目の前にかざし、ボタンを押す。

 眩い光が一瞬だが奴の眼球に直撃した。

「ぶぁっ、ぶぁああああ!」

 カメラのフラッシュで目が眩み、俺を離して眼を覆う。

 その隙を逃さず、今度こそ来た暗闇の通路を駆ける。

 暗い空間で閃光を浴び、その目で暗闇に紛れた俺を探すのはさすがに至難だろう。

 暴れまわる声が段々と遠のいていく。

 来た道の分岐点に差し掛かる。この階段を上れば日光が差す階に到着する。

「……ぶぉぉぉぉ!」

 遠くからあの大男の叫び声が聴こえてくる。

 ……追いつかれてはかなわない。勿体ないが命には替えられん。

 カメラからメモリーカードを抜き取り、タイマー機能を使って別の分岐先に置く。

 カメラを囮にして、地下から脱出する。

 下のほうで大男の怒声が通過した。

 差し込む日差しがものすごく安心できた。これで……脱出できる。

 疲労で脚がものすごく痛いが、勢いを緩めずにそのまま外へ駆け抜ける。

 日が落ち始めた空、赤い夕日が出迎えてくれた気がした。

 一安心し、腰を置こうとして屈む。

「ぶぉぉおおおおお!」

 一息つく間もなく別の方向からあの声がやってきた。

 くそっ、マジか。病院だから出入口がいくつかあってもおかしくはないな。

 しかしこんなところで追いつかなくても……早いこと逃走経路を見つけないと!

 ここは急勾配の山になっている。下った先にアスファルトの道があってそこから逃げる事も可能だ。

 無事では済まなさそうだがな。

「ぶぉおおお!」

 さて、三角頭が追いついてきやがった。

 コイツは執念を持ってどこまでも追いかけてくるだろう。

 そりゃそうだ。この病院の隠された秘密を知られたんだ。逃がすつもりはないだろうな。

 だとしたら道は二つ。倒すか、足止めするか。

 さっきもそうだが、コイツを倒すまでの余裕はない。

 今は一刻も早くここから脱出しなければならないのだ。

「ぶぁああああ!」

 怒号を撒き散らし、大仰に拳を上げて迫ってくる。

 向こうが勢いを向けてくるならカウンターが一番効率がいい。

 迎撃する為に構え、タイミングを合わせて拳を放つ。

 拳は突き刺さったし、手応えも十分だった。

 しかし振り下ろされた相手の鉄槌は俺の上体を沈めた。

「っづぁああ!」

 這いつくばった状態でもう片方の手からビンタを喰らう。

 まさかそれで十数メートルも吹っ飛ばされると思わなかった。

 宙に浮く間、現実感が得られなかった。

 くそっ……たった数撃なのになんてダメージだ。

 俺の拳だって無視できるほどヤワではないはずだ。

 あの手応えは確実に悶える程の痛みが来るはずだ。

 まだコイツとの間に差があるというのか……俺ではこの大男を倒すことは出来ないのか……

 朦朧とする意識の中で、大きな足音が近づいてくるのがわかる。

 次捕まったら終わりだ。

 チラリと右の方を見たら太い木の枝があった。

 大谷ちゃんを酷い目に遭わせたチンピラ共がフラッシュバックした。

 俺の足を強打して、俺は動けなくなった……これだ。

 卑劣な奴らのやることを真似るのは好きじゃないが、今は四の五の言ってはいられない。

 大男が俺を掴もうと手を伸ばす。

 俺は転がって回避し、枝を持ち上げる。ふらつくが今が正念場だ!

「うぉおおおお!」

 俺は思い切って枝を振り切り、奴の左脛を思い切り叩く。

「ぶっ、ぶぁあああ!」

 大声を上げて膝を着く。まだだ……まだだ!

 俺はさらに思い切り強打した部分に蹴りを入れる。

 骨を折る勢いで蹴り上る。予想以上の硬さに、俺の方でもダメージが大きかった。

「あああああ!」

 悶えるようにのたうち回る。

 俺はその隙にフェンスの破れた先の崖を飛び降りる。

 急勾配というだけで土は存在し、滑り落ちるように急降下する。

「ぶぉぁああ?」

 這ってきたのか、崖の頭から顔を出してきた。

 おいおい、本当に執念深いな……だがどうやら奴もここまでのようだ。

「ああああああああ!」

 悔しそうに拳を地面に叩きつけ、俺を睨む。

 俺の落下と共に、お互い距離が開いていく。なんとか……なんとか逃げることが出来た。

 時折石に身体をぶつけながらも、どうにか民家のある大通りまで抜け出すことができた。

 運良く通りかかったタクシーを捕まえ、俺は無事に生還する事ができた。

 よかった……あとは解析して通報だ……うまくいったんだ……
【■■】
 雰囲気がおかしい。

 整理されているはずなのに違和感がある。

 以前感じたようなのと感覚が似ている。

 まさかまた……侵入されたのか?

「剛介!」

 宿直室へ駆け込み、待機しているはずの部下の下へ向かう。

 巨体の部下は左足をだらしなく伸ばし、寝そべっている。よく見たら紫色に腫れ上がっていた。

「どうした!」

 熱感も激しい、よほどの怪我だ。骨折まではいってないようだ。

 いや、骨折でも剛介の場合大した怪我にはならない。

 剛介は頭は弱いが自爆で大怪我するほどのヘマはしない。

 ……だとすると侵入者か。

 私は慌てて実験室の方へ駆ける。

 一見荒らされている気配はなかった。

 しかし机の中の資料がごっそりと無くなっている。

 実験は全てデータ化されているから紛失自体は痛手ではない。

 書面に手書きは個人的な趣味でもある。

 しかしそれが盗難によるものとなると話は変わる。

 これが警察の手に渡れば色々とマズイ事が起こる。

 ……いや、冷静に考えろ。高い確率で乗り込むことはあるまい。

 この施設は元々……そう考えれば警察が介入する事はそう無いだろう。利口であればな。

 いくらそうであろうと、これで完全に時間が無くなった。

 早く江城優悟くんとの決戦を果たさねば。

終わったところでこの施設を破棄すれば良いだけの事。

「楽屋」の者に早速連絡を取る。

 明日にでも、あの少女を捕えるのだ。

 状況の無理矢理さは、もう問わない。

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