三十一、江城の覚醒

【○】
 まさかまたここに来る事になるとは……

 しかも江城だけでなく、佐々木部長や定本さんまでいるとは。

 誘拐犯がいる、という情報があったのでとりあえず武装はしてきた。

 あ、今ベルト装着してるところ。

 これから武器を差し込んで黒ポンチョ羽織るところ。

 さすがにあの格好じゃ電車乗れねぇよ。

 さてさて、あまり悠長なことはしてられないなぁ。

 中にいるんだろ?

 で、誘拐犯とドンパチしてるかもしれないし。

 江城を死なせない為に、急がなきゃ。

 あ、そうそう「コレ」も忘れてはならない。

 布袋に入れて、ベルトに固定っと……

 スポーツバッグはそこに放置でいっか。

 さぁいざ、廃病院二度目の挑戦へ!

 呪われし江城達を救出せよ!

 病院の中に足を踏み入れた途端、

「……ぶぉぉおお」

 奥から野太い声が聞こえてきた。

 早速幽霊のお出ましか!

 ゴン助を肩にかけ、ドリル号を前衛、シェリーを後衛につける。

 とりあえず犬の霊を装着しておけば幽霊の気配が……ってここたくさん居るわー!

 いや、見えないし匂いしかわからないけど……でもこれはヤバイ。

 そりゃ、大谷さんの気分を悪くなるよなぁ。こんだけビッシリいりゃ。なんで写真に写らなかったんだろう。

「ぶぉおおお……」

 ん、声が近いぞ。

 暗くてあまりわからなかったけど、右に目を向けたら巨人がいた。

「ぶぁあああ!」

 でっかい拳が勢いよく飛んできた。
【△】
 目の前の奴は自身を俺の敵、と名乗った。

「ここまで辿り着けた事を歓迎しよう。君は私と深い因果で繋がっている。

 成り行きは、私が繋げたようなものだが」

 男の言っている事が理解できない。奴は何を言っているんだ……

「まぁ、まずは状況を把握しよう。あちらの窓を見ていただきたい」

 俺の方から右手側を指す。ガラスの奥には探し求めた姿があった。

「定本!」

 大声を上げる。激しくもがく姿が見えた。

「てめぇ、定本に何しやがった!」

 鎖で両手を縛られ、上に吊るされるような形で拘束されている。

 脳裏に嫌な情報が予測として流れる。

 キーワードは「実験」だ。

「時間が無かったのでな。残念ながら手付かずだ。だが何もしないというわけではない」

 奴は突起のあるテーブルに位置する。飛び出たボタン状のそれは、嫌な予感を彷彿とさせる。

「隣の部屋は『処刑室』と名付けている。

 致死性の毒ガスが密室に充満する……早苗くんの命はスイッチを押してから十五分程度だ」

「や、やめろ! やめろ!」

 挑発するように、指でスイッチを叩く。

 押すに至らないまでの強さにしても、命を握られた側はたまったものではない。

「……まだだ。一通り楽しんでからだ」

 コイツ……命を弄ぶことを楽しんでやがるのか。

「さて、私と君は深い因果関係にあるが……当然自覚もピンとも来ないだろうな」

 心当たりがある。俺が乗り込んだこの場所、そして数々の資料。

「……牧江!」

「ほぉ、どうやら察しは良いようだな。いや、どこかで情報でも手に入れたのかな? 通常なら楠原牧江くんとこの私を結びつけようがないからな」

 奴は否定しなかった。つまり、奴が本当に牧江の命を奪った真犯人なのか……

「実は彼女だけではない、江城雄一郎という名前も忘れてはないだろうな」

 雄一郎……親父?

 なぜ親父の名前が出てくる?

「ほほぉ、さすがにそこにはたどり着かなかったか」

 まさか、親父も奴に殺されたのか……?

 それにしても、どうして……?

「年の割には若い娘の為に命を張ったよ。いや、父娘という間柄でもなさそうだ。大方、不倫関係だったのだろうな。死ぬ間際は家族ではなく彼女の名前を呼んでいたよ」

 やめ、ろ……今そんな事を話さないでくれ。

 威厳の塊だった親父が、実は隠れて浮気してて、その浮気相手を追って命を落としたなんて……知りたくない真実だ。

「わかったろう、偶然とはいえ、私と君には因果関係が成立する。加えて、早苗くんと私にも因果があった」

 視線を鋭くさせて睨む。男はそれに怯みもせずヘラヘラとプレゼンを続ける。

「彼女は私の初恋の人の娘だ。恋は実らず、別の男と結婚。その後父親は大怪我を負って私が治療した。その際に意図的に下半身不随にしてやったがな」

 怪我を治療……ということはこいつ、医者なのか。

 こんな奴が医者としていられるなんて……世の中まともじゃない。

「私にとって今は最後で最高のステージだ。全ての因果に決着をして、世間と断絶をする」

 こいつをここで取り逃がしたら一生捕まらない、という宣言か。

 それが可能かどうか疑わしいが、算段があるのだろう。

 でなければ、堂々と言い切らない。

「おぉ、そうだ。牧江くんだったな……君に見せたいものがある」

 机の上に置いてある小箱を取り、俺の前に見せる。

「牧江くんは私の実験に大きく貢献してくれたよ。これはその結果で得た報奨金で買ったものだ」

 中身は煌びやかな懐中時計だった。

 牧江の命で、奴はこれを買ったのか……

 この時計が、牧江……なのか……

「これは君にあげよう。もう要らないものだ。それに大切な恋人の形見だろう」

 そう言って俺の前に放り投げやがった。

 俺は悔しさで涙が零れ出る。

 クッソ! コイツ……ブチ殺してやる!

 もがいてもロープは緩まない。こんな奴を前にして俺はなんて無力だ。今すぐにでも目の前の奴を……殺したい!

「おぉおぉ〜。良い眼になってきたではないか。そろそろ覚醒も近いか?」

 何の話かわからないが、今はどうでもいい。もう目の前の男を殺したいというドス黒い思いでいっぱいだ。

 俺の顔を上から見下ろす。唾でも吐きかけてやりたい。

「ふむぅ……これはこれは」

 何に気づいたのか、男は笑いを押し殺して離れて行く。

「ククク……ハァーッハッハッハ!」

 そして、大きく高笑いをした。

「傑作だ……眼の覚醒に期待していたが……まさか『狂者の眼』だとはな! これはオチとしては最高の出来だ!」

 ナニガオカシインダ コノヤロウ

 奴が笑いをあげるたびに、俺の怒りが増していく。

「最高だよ、江城優悟くん。実に最高だ。私の期待からは少し外れたが、大きな問題ではない。それでは仕上げといこう……」

 奴は俺から離れ、スイッチのある机に再び位置する。

 まるでクイズの司会者みたいに……

「これは心理テストだ……が、私を倒せる人間かどうかを確かめることができる重要な質問だ。これでいわゆる『正解』を当てることができればその資格があるということだ」

 正解付きの心理テストだと?

 そんな下らない事に答えられる余裕はない。

 しかし定本の命が危険に晒されている以上、下手な物言いは刺激して逆効果だ。

 今は、この怒りを抑えよう。

「……なんだ、言ってみろよ」

 精一杯抑えたつもりだったが、これが限界だった。

「良い心構えだ。目の前に二つの檻がある。一つは君の大切な女性や友人、もう一つは君とは無関係の人間百人。巨大なミキサーがあり、助けられるのはどちらか片方だけ、もう片方はミキサーにかけられ死亡する。君はどうする?」

 ……どういう状況だ?

 ただ人質がいるだけなのか、それとも奴が目の前にいる時の事なのか。

 どちらにせよ通常では考えられない状況だ。

 ――ッチマエヨ

 この質問に一体何の意味がある?

 ――ヤッチマエヨ

 少数の大切な知人を救うか、多数の無関係を救うかの違いだ。

 ――ギセイニシチマエ

 どっちかだけしか救えない?

 ……くそっ、なんでこんな時に質問を?

 今とは全く関係ないだろうに。

「……考えているのかね? 考える事ほど無駄な事はない。では一つ加えようか。私は、逃走中だ」

 つまり、奴を追いたければ……今がその状況だというのか。

 ここに無関係な人が何人か捕まっていて、定本と同じように処刑室で拘束されている。

 俺の選択によって今ここにいる人々の運命を決めるというのか。

 定本の方に目を向ける。泣きながらもがき、俺に助けを求めている。

 牧江の敵討ちを諦めよう……定本はそう言った。

 目の前に牧江の命を奪った真犯人がいる。

 今奴を取り逃がしたら一生牧江の魂を救えない。

 牧江を苦しめ、死に追いやったクソヤローをブッ殺せない。

 牧江の命を時計に変えて放り投げた奴を……許してはならない。

 そのためには……

 ――スベテミステチマエ

 だが定本はどうなる……佐々木さんはどうなる!

 ――マキエハシンダ

 俺は……俺は……

 ――ヤツハマキエヲブジョクシタ

 許せない、許せない!

 殺してやる!

 ――ヤツガイキテタラマキエヲスクエナイ

 牧江さえ救えれば、俺は……

 ――ヤツヲコロセ

「良い目つきになってきたではないか! そろそろ答えが出た頃ではないか? さぁ言ってみろ」

 俺は……ヤツヲコロスタメナラ……みんなを……イラナイ……

「江城! 惑わされるな、気をしっかり持て! それを言ってしまえばお主は……!」

 佐々木さんが微かに届く足で俺を小突く。

「外野は黙っていて貰おうか!」

 彼の言葉を妨害するように殴り飛ばす男。

「さぁ言え、言ってしまえ! 私が憎いのだろう? 私と同じ狂者であると認めれば私を倒せるかもしれないぞ!」

 奴はテーブルに戻り、興奮気味にスイッチを叩いた。

 エアコンに似た大きな音を立てて、定本の居る処刑室に白いガスが侵入してくるのが見えた。

 それに気付いたのか、定本の拘束されながらも暴れる姿が目に留まる。

「さ、定本ぉ!」

「あぁ、勢い余ってつい押してしまったよ。残念だが彼女の命はあと十五分となった。さぁさぁどうする、このまま黙っていていいのか?」

 奴の挑発がうるさい。

「助けたければ私を倒すことだ。換気扇はパスコード管理でメモはこの服のどこかにある。時間がないぞ? ん?」

 モウユルサナイ イマスグキサマヲ

 奴を殴り殺すのに十五分は足りない。もっと、もっと時間をかけて……

「我を解けぇ! 我が貴様を倒す!」

 佐々木さんの怒声が響く。

「江城は下がれ! 今のお主は冷静になれん。奴の思うつぼだ!」

 何を言ってるんだ……俺が殺さないと、牧江を救えない。

「うるさいぞ外野! 貴様では役不足だ! 江城優悟もさっさと答えんかぁ!」

 奴は放った懐中時計を踏みつける。牧江の形見を……

 やめろ……ヤメロ!

「江城! 言うな!」

「俺は……」

 俺は、みんなを……てる……

 ……てて、貴様を……コロス……
【■■】
 江城優悟が戦士の眼でないのは非常に残念だ。

 しかしここまで挑発すればもうあとは口にするだけだ。

 狂者の覚醒する瞬間だ。

「江城! 言うな!」

「俺は……」

 彼が狂者の答えを吐こうとしたその瞬間、処刑室の排気口の音が停まる音が響いた。

 誰もが気付くほどの「ゴウン……」という大きな音だ。

「……なに?」

 ガス装置が、停まっただと?

 そして次に始まったのは換気扇の動く音。

 何故だ、何故換気扇が動くのだ? 私は換気扇のスイッチを触っていない。停まることはあり得ないはずだ。

 他に侵入者がいるのか?

 いや、制御そのものをこの部屋で行っている。他に人間がいれば気付く。

 剛助という可能性はゼロだ。命令がない限り入らないよう躾てある。

「……し、篠本?」

 外野の男が唖然とした驚きを口にする。

 処刑室の方に目を向ける。

 早苗くんを拘束していた鎖は切られ、彼女は一人の男にしがみついていた。

 彼の眼を見て、戦慄した。

 まさか……本当にいたのか……

 このタイミングで、あの眼を持つ者が本当に現れたのか……

「貴様が……」

 恐れおののき、上ずった声が漏れる。

「貴様が……私の敵かぁ!」

 戦士の眼を持つ者……敵は懐からハンマーを取り出し、投げる。大きな音を立て、透明の隔たりは砕けた。

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