三十ニ、戦士の眼

【■■】
 黒いマントを翻し、サッシを越え、突如として現れた敵は私と江城くんの間に割り込んだ。

「篠本? どうして……」

 江城くんの震える声。彼ですらこの敵の登場は意外だったようだ。

「マキエに頼まれたんだよ。お前が死ぬって騒いでいたんでな」

 彼は手持ちのナイフで二人の拘束を解く。

 まさか、あれで早苗くんの鎖を切ったのか?

「おい、俺の手がまだ……」

 江城くんは椅子から解放されただけで後ろ手の固定はそのままだ。

「お前は戻れ。腕を解いたらあいつに殴りかかるだろ?」

「当然だ! マキエを死なせたあいつを許してたまるものか!」

 敵は江城くんの胸にナイフを握った右手を当てる。

「そのマキエから、殺されるから止めてくれって言われたんだ。その想いを無視して犬死にするのか?」

 江城くんの熱が冷める。さっきから彼は何を言っているのだ?

「安心しろ、奴は俺が倒す……いや、倒せるのは俺しかいない」

 まさか……彼は「眼」の事を知っているのか?

 そして、自身が戦士の眼に覚醒していることも……

 敵が私の方に向き直る。その鋭き眼光は、狂者のような爛々とした光ではなく、冷静な輝きを感じる。

「お久しぶり……つっても俺だけか。実際会うのは初めてか?」

 マントから覗く左手に目がいく。包帯を巻いている……怪我をしているのか?

「その怪我……ナイフの刺傷か?」

「ん? あぁ、これは気にしないでくれ。ただの貫通傷だ」

 傷に対するその冷静な対応は間違いない。普通であれば弱点を見抜かれたと慌てるはずだ。

 そしてその傷に思い当たる節がある。

「それは私が治療したものだったか……その後はどうだ?」

「そういえばあんた医者だったっけ。腕は確かみたいだな。おかげさまで順調だよ」

 私の素性を知っている?

 ますますこの敵の正体が掴めない。

 だが彼が本当に戦士の眼を持つ者か確かめなければ……

「君は、戦士の眼を持っているのか?」

「……らしいな。どうやら狂者の眼とは違うらしい」

 ある程度自覚はあるようだ。ならば、この質問で確かめる。

 誰もが到達し得ない答えを、彼は持っている。

「ならば、君に問おう……」

「ん、まさかあの人質とミキサーがどうのってやつ? アレ、聞き飽きたんだよね」

 ……ど、どういうことだ?

 あの質問は私が考え出したもので他の人間は知りようもないはず!

「ミッチー……が答えだっけ?」

「……は?」

「いや、失礼。印象的な回答だったんでね。つい……」

 場違いな回答に唖然とする。なんだ、そのふざけた答えは。

「どっちか助けるとか、助けないとかいろいろあるけど……」

 狂者は全てを犠牲にする。江城くんもそれを口にしようとした。

 ならば戦士はこの場合誰を犠牲にする!

「俺なら……俺がミキサーに飛び込む。そんでそのミキサーをぶっ壊してやる」

 なっ、なん……だと……?

 想像を超えた回答だ……

「できる、とでも……?」

 この私が動揺している……出会ったことのない敵を前に心底怯えているのか。

「ミキサーを用意すらしてないあんたに言われてもさ……」

 細かい指摘が頭に来る。しかしその返しは最もである。

「まぁ、あんたの装置を止めた……じゃ根拠に薄いか。それでもやってやるさ」

 そう、そうだ。なぜあれは止まった?

「ガスを……どうやってガス装置を止めた?」

 あれはこの部屋で作動を管理している……他にスイッチは存在しない。

「あれか? 配電盤をいじくったんだ。繋ぎ直して換気扇と入れ替えた」

「なっ……」

 配電盤、だと……?

「そうか……そういえば篠本は電気工学科だったな」

「まさか講義の知識がここで活きるとはね、俺も意外だ」

 たったそれだけの知識で、この私の楽しみが妨害されたというのか……

 まだ疑問は残る。剛介はどうした?

 ……いや、戦士の眼を持っているなら不思議ではないが、それ以前に超越兵士の完成実験体だ。

 簡単に負ける事もないはずだ。

「門番がいたはずだ。あれはどうした?」

「質問多いね……門番ってあのでっかい奴のこと? さぁ、どこかで怯えて隠れてるんじゃない?」

 やはり……つまり敵の強さは本物と見ていいだろう。

 左手の怪我は、大きな弱点だろうがな。

 この二つのポイントが、私の勝利を分ける。

「さてと……江城、お前は定本さんを連れてここから脱出するんだ」

「まだ言うか……俺が奴を倒さないと、牧江を救うことができないんだ!」

 ナイフを構える戦士に、激昂する江城くん。

 因果を考えれば、いくら彼が戦士の眼を持とうとも、「魂の救済」があるものとしても、それには繋がらない。

 彼が私と戦う理由がないからだ。

「俺だって救えるさ……いろんな幽霊達から頼まれたんだ。奴を倒してくれって。それに、マキエは俺に救いを求めてきた。資格は十分にある」

 ……状況は変わってしまったがこれで「戦士の眼との対決」は実現する。

 早苗くんや江城くんを逃がす事を許してしまうが、戦士が前にいてはどうしようもない。

 彼らは戦士に打ち勝ってから処分するとしよう。
【○】
 少し時間が遡る。

 廃病院に入った矢先の巨人遭遇の件について。

 拳が飛んできたのを、反射的にガードをかけた。

 ナイフをそのまま刺さるように構えて。

 衝撃はあったが、吹っ飛ばされるところを霊犬達が俺を支えてくれたおかげでダメージは低い。

 カウンターの要領で手にブッスリ行った相手の方が悲惨じゃないのかな。

「ぶぉおおおお!」

 痛みを振り払おうと手を大袈裟にバタつかせる。

 いきなりなんだ……とは思ったがこれが江城達の危機の正体だと直感し、巨人を正面にナイフを構える。

 こいつを倒す事が江城達の救助に繋がる……どんな手を使ってでも倒さないと。

 巨人は大振りのパンチを俺に向けてきた。

 おい、痛みの復帰にしてはやけに早いぞ。

「ゴン助、止めろ!」

 ガードをかけようと柴犬の足を前に飛ばす。

「ぶおっ?」

 同時に、巨人の勢いも止まった。

 俺は突然生まれた隙に戸惑ったが、これは大きなチャンスだ。

 身体を曲げて腕の軌道から抜け、すれ違うようにナイフを立てて腕に切り込みを入れる。

 腕先から肩にかけて大きな裂傷ができた。恐ろしい程の切れ味だな、これ。

「ぶあああああ!」

 大きな叫び声はさすがにビビる。

 やべぇ、やりすぎちゃったかな……

 そんな引け腰もあっさりと抜け、驚きに変わった。

「あああああ!」

 巨人が力んだと思ったら傷口から肉組織が湧き出し、傷が修復したのだ。

「え、えぇ……なんだこりゃ……」

 人間でないバケモノを見たような気分だが、同時に傷もすぐ治るという点にも注目した。

 これは……イイ。

「なるほど……ってことは、だ」

 ナイフを巨人に向け、再び構える。

「好きなだけ切り刻めるってわけか……」

「ぶぉっ?」

 戦闘において、明らかに有利な能力である傷の回復能力を持った巨人が、俺を見てたじろいだ。




 普通ならこの敵を前にして絶望を抱くのは俺の方だ。

 だが、俺にはその理屈は通用しなかったようだ。

 それからがまた悲惨だった。

 脚、腕、腹と続き首、目にも容赦なく刃を突き刺す。

 再生能力は無限だろうが、精神だけは回復できなかったようだ。

 巨人は完全に怯えきって動かなくなってしまった。

 粗い呼吸音を立てて死んだふりまでしている始末だ。

「俺は先へ行って戻ってくるが、邪魔するなよ……」

 ナイフを修復しきった首筋に当てて脅す。

 巨人は泣いて首を何度も縦に振った。

 これで大きな障害は消えたな。

 あとは江城達がどこにいるかだなぁ。定本さんも見つけないと。

『こっち……』

『あいつをとめて……』

 暗闇から声が聞こえる。

 普通の人間だったら確実に逃げるだろうなぁ、こんな声聞いたら。

 マキエでずいぶん耐性が付いたもんだ。

 ベルトに結いた袋から水晶玉を取り出す。

 大谷さんから拝借してきた。

 元々は佐々木部長のもので、黒魔術を失ったことで大谷さんから見放されたものだ。

 最初は嘘くさいガラス玉かと思ったが思わぬ局面で俺たちを救った。

『幽霊と意思疎通ができるこの聖石よっ! これで幽霊ホイホイだぁっ! お買い得商品、これでなんと5980円也っ!!』

 もしこれで本当に意思疎通ができるのなら、今この局面において相応しいものはない。

 でもこれ使い方間違えると危ないからな。犬達を吸収してしまう。

 ホイホイを前にかざし、誰もいない空間に語りかける。

「頼む……江城達を救いたい。手を貸してくれ」

 反応が無いと思ったのも束の間、俺の左腕を掴む手が何本か見える。

「連れてってくれ……奴を悔しがらせたいんだろ?」

 手の数が増える。俺の背中を押し、両手を引っ張る。

 まずオフィスらしいところに連れて行かれる。

 引き出しが勝手に開く。そこを覗いてみると鍵が目立って仕舞われてあった。

 鍵……か。持っててまず損はないな。



 次に幽霊たちが導いてくれたのは処刑室とかけ看板があるドアだ。

 ずいぶん物騒な名前を付けてるな。

 ドアは、開かないか。んでは早速鍵を使ってみますか……っと。

 ドアをそっと開けると、白いモヤが迫ってきた。

 女の子の叫び声も聞こえてきた事もあり、つい反射的に閉じてしまった。

 まさかアレ、毒ガスか?

 夢に出てきた、確実に中にいる人を殺す……

 さっきの女の子が定本さんなら大変だ!

 死に至るまで十五分、今はどれくらい経っているかわからないけど叫んでるうちはまだ生きている。

 つまり、まだ間に合う!

 息を止めれば何とかなるか……いや、中の状態が把握できない今、ミイラ取りがミイラになる危険だって大きい。

 迷っている暇はないが……どうする?

 どうしようか考えているその上で「ガタン!」と大きな音がした。

 ……ビビったぁ。心臓が飛び出るかと思った。

 音のした方を見ると、配電盤があった。

 ……なるほど、それか!

 実は、電気系は俺の得意分野だったりする。片手操作は大変だけど、四の五の言ってられん。

 これが一番安全な救出方法だ。

 うん、コレを外してアレを繋げば大丈夫なはず。

 ドアをそっと開け、ガスと換気扇の配電が交換されたのを確認する。

 よぉーっし! うまくいった!

 あとは定本さんの無事を確認できれば良しだ!

 ガスの密度が薄くなったのを見計らって定本さんのところへ走る。

「し、篠本……?」

「定本さん、助けに来た」

 彼女を縛る鎖をナイフで断ち切る。改めてこの切れ味の恐ろしさを実感する。普通金属の鎖を切れるか?

 これで俺の左手ズブリといったんだよなぁ……ヤバイ、身震いしてきた。

「もう大丈夫だ、ガスの心配もない」

 安心させようと背中を軽く叩く。

「し、篠本ぉ〜」

 驚いたことに、定本さんの方から俺にしがみついてきた。

 よほど怖かったんだろう、大きな声で泣いてものすごく震えている。

 ガラスの向こう側に江城と佐々木部長が捕まっている。

 状況は、ギリギリか?

 そして……あそこにいるのが、多くの命を奪った殺人犯か。

「定本さん、ちょっと離れて。これから江城達を助けて、奴を倒す」

 体は離すが、手だけは離さないでへたり込んでいる。

「お願い……あたしのお父さんも、あいつに人生をめちゃくちゃにされて……自殺したの……」

 なんて野郎だ。恨み買いすぎだろ……

 懐から金属ハンマーを取り出す。片方が掘削用で尖っている凶悪なものだ。

「わかった。あとは……任せろ!」

 ハンマーを思い切り投げてガラス窓をブチ破った。

 マキエ、今から君の仇を……討つ!
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